夢、夢だからハイウェイ
神保町が好きだ。小説が最も身近に感じられる、出版社と古書店の街。なんとなく日陰っぽくて、昼間でも路地が静かな街。働いていた街。下町人情が現存する街。とにかく本と出会える街。
夢のことを書こうと思って、見出し画像は書店にしようと「神保町」で検索したら、うどんが出てきた。これを見た瞬間に「丸香」だと分かって、自分が誇らしい。
澄んだ出汁のいりこの味がよみがえる。
麺の食感とか……食感とか。
店員さんが注文を聞きに来る直前まで、冷やかけのことを考えていたのに「釜玉の並、お願いします」って言ってしまう自分までよみがえる。食べたい。
あくまでも、「丸香」は東京の讃岐うどんだ。香川には申し訳ないけれど、洗練されている。ただ、本場の讃岐うどんには店ごとの個性の違いがはっきりとあって、当たりに出会うと、ハシゴしたくなる。愛媛で生まれ育ったので、何回かは巡った。とても安いし。東京にいると香川のうどんが新鮮に感じらて、四国にいると「丸香」のうどんが新鮮に感じられる。そんな感じだな。
うどんじゃなくて、小説のことを書こうと思う。
高校時代の担任の先生と、卒業しても交流があった。先生は結婚して、お子さんが生まれた。わずか数年後、お子さんが病気で亡くなったことを喪中はがきで知った。
同じようにお世話になった親友と相談して、短いお悔やみの言葉だけを送った。
そこに、自分の言葉を何も入れられなかった。先生がどんな思いでいるか、自分の経験でわかるものが何もないとわかっていたし、励ますのも違うと思った。私に励ませるわけがない。思いつく言葉が全て無神経に思えて、本当に言葉が出せなかった。
だけど、卒業しても先生と教え子であることはいつまでも変わらなくて、その間柄だから届く言葉はある気がする。
何度も手紙を送ろうとして、便箋に向かった。
でも、やっぱり書けない。
そのまま2年過ぎてしまった。毎日考えていたわけではない。自分は自分の人生を生きていた。それでも、頭の隅に引っかかって、何を言えばよかったのか、何も言えなくても教え子として言葉をかけるべきだったのではないか、わからないまま残り続けた。
それに、わからないことは、かけていい言葉だけではなかった。
わずか数年で死んでしまった命には、どんな意味があったのだろう。
それがわからなかった。
(意味がないと言いたいのではない。)
個人として好きじゃない発想と発言だけれど、こどもが親を選んでくるとか、こないとか。
世界中の、最悪な環境のもとに生まれてくるこどもは親を選んでいるのかな? この疑問を解消してくれる解答がないし、「こどもは親を選んで生まれてくる」気が私はしないから言いたくない。
でも、もしも選んでいる子がいるとしたら、その子は、なんでそこを選んだんだろう。もし、みんなが親を選んで生まれてくるとしたら、どんな場所で、どんな感じで待っているんだろう。
宇宙みたいなところで、モニターとか見ているのかな。
そんなふうに、書こうとするものが、手紙から空想に変わってしまった。
手紙は出さないままになったし、答えも見つからないままになっている。
でも、タイトルが浮かんで、知らないこどもが頭の中で生活をはじめて、学校へ行った。頭の中で、成長していった。
完成した小説は、先生に送っていない。
夢中になって、楽しんで書いた。私には無神経なところがある。先生を傷つける言葉がどこにあるかわからないし、設定自体、傷つけるかもしれない。そんなことを思う一方で、無神経な私は小説を書くことが好きになって、夢になった。
私の夢は、終われなくて今も続いている。
諦めるタイミングは、何度もあった。文学賞には落ちたことしかない。
書くことは、楽しいし苦しい。
書いている時間は、孤独だし愛しい。
書いているときはひとりだけれど、小説を書いたから出会えた人がたくさんいる。とても幸せだ。
それに、何かを続けてみたかった。なくしたくない気持ちがあって、それを守りたかった。夢を見る人生を選びたかった。
作家になるにはとんでもなく高いハードルを越えるしかないけれど、書いていくしかない。
あのとき、あの子に、あの人に、なにか言いたかった、でも何も言えなかった、ということが、いくつもある。
ごめんねって言う代わりに、私は小説を書くよ。
今は、60歳くらいの人が頭の中にいて、日向でうたた寝をしている。どんな人かわからないけれど、彼女のことを書いてみたいな。桜が咲いている。
私は作家になりたい。
テーマソングは一生くるりの「ハイウェイ」。
いつも読みに来てくれる人がいて励まされている。
またがんばろうと思えている。
とても嬉しい気持ちでいる。
ありがとう。