原人Wifeライフに至るまで[4](相方不在の生活)
相方不在の生活が始まった。
でも実家なので両親も何故か姉もいて賑やかな4人生活となった。
無事O君のお母さんに認められ、O君の農園に働きに行く事となった。
どうやら初日にやったトマトの苗を水に浸し、ハウスに運び、植えて行く一連の作業は日々の仕事の中でも大変な部類に入るらしい。
あんな軽やかに走り回っている様に見えたO君のお母さんが次の日になって「昨日の疲れが残ってる!」と言っていたので、「やっぱりそうだよね!私の体力が無さ過ぎって事じゃないよね!」と安堵した。
O君の農園は毎日仕事がある訳では無かった。手が必要な時に声が掛かると言った感じで・・・
なので仕事の無い時は父が待ち構えていた。
80歳近い父が1人で管理するには広過ぎる土地を所有しており、そして今だ尽きぬ夢も持ち合わせているもんだから、突然降って湧いた協力者を得て鼻息が荒かった。
協力者と言っても50歳近いおばさんなんだが、父にとっては申し分のない協力者だろう。
父が笹藪を切り開き、我々がその笹を掻き集め山にする、我々が倒す方向にロープで木を引っ張り、父がそれをチェンソーで切る、父が枝を切り落としている間に、我々は木を運び出しトラックに載せる。
馬車馬の馬の様に働く姉妹・・・・・実家に住まわせて貰っているので文句は言えまい。
私は何だかんだ忙し日々を過ごしていた。
相方は1人でこれから、どこでどうやって生きて行くか思考しながら、候補地であった町まで旅を続けていた。
私達は離婚したいわけじゃ無いので、時々お互いの体を気遣い連絡を取り、それぞれの日々を報告し合た。