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原人wifeライフに至るまで[1](帰国早々不穏な空気が漂い始めた)


海外から帰国してからの住む所も働く所も決めずに私達は帰って来た。

相方の頭の中には帰国後の綿密な構想が練られていて、時々その構想を話して聞かせてくれてはいたけど、女ってさ・・・じゃなくて、私という人間は過去にも未来にも生きていなくて、今現在の事で精一杯。

相方が熱くこの先の構想を語っているのを自分事として全く捉えていなかったのだと、帰国してから相方は知ることとなった。

帰国後、軽のワゴンをキャンピングカー仕様に改造して我々はこれからの居住地探しの旅に出た。

実は、ここでもうすでに夫婦間のズレが・・・摩擦が生じ始めていた。

口を開けば不平不満しか出て来ないもんだから、車内は険悪ムードで道中はただただお互い試練の時間となってしまった。

「じゃー貴方は何処で何がしたいの?」と聞かれて、初めて自分の思いを伝えた。

私は住み慣れた地元で人手の足りていない農家のお手伝いとかしながら、自分たちの食べる分の野菜を育てながら・・・・と、漠然とした構想しか出て来なかったけど・・・

娘の海外留学費と生活費2年分を置いてきたら、我々の貯蓄はほぼほぼ底をついていたけど、なんとでも生きて行けるという根拠のない自信があった。

相方が半年近く温めていた構想から私は離脱すると言い、軽バンを降りた。

18年、夫婦として同志として力合わせて生きて来たけれど、私はもう無理して頑張って相方の構想に乗っかる事は出来ないと判断。

例え別々の道を歩くこととなっても・・・・

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