自由になるために 自分で考える

「ということは、原理主義は人にとって必要なものなのであろう。
つまり私は原理主義の内容に関心があるわけではない。
ひとはなぜそれを必要とするのか、そちらの方に関心がある。」
p5
「「考える」ことは、自分の意識の中に埋没することではない。
そこからなんとか出ようとする作業なのである。」
p8
新潮文庫「養老孟司の大言論1」より。

何のために、自分は、考えるのか。
本を読んで学ぼうとするのか。

手段はすぐに目的へと取って代わるから、
より刺激的な方へフラフラ行ってしまうから、
ときに養老先生にシメていただく。

ひとはなぜ原理主義を必要とするのか。
原理主義に限らない。
なんで人間てこうなの?(自分も含む)
なんで世の中ってこうなの?
他の在りようはなかったの?
この先も?
お金の心配がなければ幸せになれるの?
科学は何を解決するの?
なんで報道を鵜吞みにしてコロナを怖がるの?
なんで自分でデータを計算しないの?
誰が巨額の利益を出した?
誰がこの騒ぎを利用した?
何を排斥・排除しようとした?

見遂げなくては、と思う。
報道にはきっと出てこない。

先生的に言えば
「どうせわかりはしないと思うけれども、
どこかまでは、つまりわかるところまでは、
わかるはずである。
そう思って考える。」
p6
無意識界と世の中のふるまいとは、
コントロールできないという点で似ている。