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『東大に行けなければ死ぬと思っていた。』~私が海外大学を選んだ理由~ vol.4

~前回までのあらすじ~
海外大学進学コースに所属したことでアイデンティティーを取り戻し、偏差値人間の皮を脱ぎ始めつつある自分。そんな中、いよいよ進路選択が迫ってきて…。

第Ⅳ章 国内? or  海外?

高2の冬。そう、進路選択が本格化する季節。

予定通り、国内組へ戻るのか。
それとも、海外大学を目指すのか。

私は、かなり迷っていた。

受験準備は学校の決まりで国内用も海外用もどちらもしていた。
しかし、高2の1月から海大進は国内模試の課題が免除になって海外大受験の課題が増えたり、本格的な進路調査が始まったりした。

決めなければいけなかった。

国内?or 海外?

明確な月や日にちは覚えていないが、私は毎月頻繁に行われる先生との面談で
私は意見をコロコロと変えた。
本当の人間と、偏差値人間が綱引きをしていた。

「海外大学に行きます。私は海大進のおかげで変われました。リベラルアーツ教育のある環境に行きたいです。」

数週間後
「やっぱり早稲田の国際教養に行きたいです。国内難関を目指したいです。」

偏差値という数値にしがみついて、“いい大学”に入り“いい企業”に就職する未来。
表現という数値では表せないに自分の強みを、能動的な学びを通して探究する未来。

本当の私は、どちらの未来に進みたいのか。

また数週間後
「やっぱり海外の大学に…」

しかし、やはり今までの自分から抜け出せない私は、真逆の方向へと走る。
「東大に行きたいです。やっぱり、今までずっと日本のトップを目指してきました。」
先生「…???浪人する気ある?浪人する気もなければ目指せないですよ。最近ずっと意見揺れているよね?もうしっかりと決めないといけないですよ。」

東大に行きたいと突如言い出した私の意見への先生の言葉はごもっともだった。
しかし、最後の二言で、先生の目が変わった。
言葉よりも、その瞳に、厳しさが表れていた。

もう私はわからなかった。
どっちが正解か。
正解なんてあるのか。

色んな人に相談した。
相談すればするほど、わからなかった。
マインドマップも何度も何度も書いた。
書けば書くほど、わからなかった。



春休みになった。
その日の面談が、ラストチャンスだった。

親、先生2人、私の四者面談だった。

「海外大学に行きます。」
これが、私の最後の表明だった。

私はあれから、もう一度耳を研ぎ澄まして、自分の声を聞いた。
そして、恐れや執着心など、偏差値人間だった自分が抱いていた感情を捨てた。
捨て切れそうになかった感情も、自分を信じて、最後は捨てた。
故に、この最後の表明には、今までの何十倍もの勇気と覚悟が詰まっていた。
数週間ではなく、それまでもがいてきた何年分もの人生を通して出したアンサーだった。

そして、私はこの日の景色と先生の顔を一生忘れない。
今のところ人生で最初で最後の超圧迫面接だった。

費用はどうするのですか?
ずっと揺れていましたよね?
それは本当にあなたの声ですか?
他人の意見に流されているのではないですか?
もし国内組に戻りたくなったらどうするのですか?戻れませんよ?

そこには、今まで見たことのない先生の姿があった。
質問の言葉以上に、その目は本物だった。
いつもの先生とはあまりにもかけ離れたその口調と威圧的なオーラに、私は何か大罪でも犯したのかと洗脳されそうだった。

最初から最後まで、3秒後にはもうこの空間ごと弾けてなくなってしまうのではないかというほどの張り詰めた空気の中、質問攻めする先生。
あまりの圧迫ぶりに、気をとられる母。

しかし、それが私を押した。
私も、目の血を走らせて必死に意見を伝えた。

吹っ切れた。

私の人生だ。私の人生だよ。
これが私の人生なんだ!!!!!!!!!!!!

ここで、覚悟が確固たるものになった。
海外大学進学に決心がついた。
本当の自分をあぶり出せた。
それまで偏差値だけを追いかけて本当の自分を殺しかけていた自分に、生き血が通った。

山岸永遠になれた。



(*面接をしてくださった先生は、心から尊敬する私の恩師です。先生があの時、本気で向き合ってくださったからこそ、本気で対話してくださったからこそ、海外大学進学に信念を持って挑むことができ、今日という日も信念を持ってアメリカで生きています。本当に感謝しています。)

ここまで読んでくださったみなさん、
本当にありがとうございます。
こうして海外大学受験を決意した私ですが、ここまでは私の個人的な葛藤やストーリーについて書いてきました。しかし、この時点で私が海外大学を志望した理由は、「本当の自分になれたから」という一言に過ぎません。
なんか…浅いですよね。せっかくそれまでの“自分のストーリー”があるのに、うまく言語化できていません。
では、なぜ言語化できていないのか。

それはずばり、自分を知らないから。
自己分析が足りないからです。
自己分析といっても、「自己分析のための質問100選!」のような就活本のおまけものようなものではないですよ!

立体的に、納得するまで、
とことん自分をあぶり出すのです。

残る最終章は、
私はなぜ海外の大学を受験したいのか、
なぜ交換留学ではなく正規留学にこだわるのか、
なぜアメリカなのか、
何を成し遂げたいのか、
社会の何に怒りを感じているのか、

「自分とは何者か」

について、
徹底的に自分に問いかけた私の海外大学受験戦記です。
TOEFL, SATなどの試験も海外大学受験においてはもちろん大切ですが、
私は「自分を知ること」「自分を語れる人間になること」が最も大切だと思います。
Essayはもちろん、家族への説得も、自分の言葉なしでは成立しません。

そして、それらは、最後まで自分自身を絶対的に支えてくれる力になります。
たとえ海外大学を目指す人が周りにいなくたって、
たとえ金銭面で壁があったって、
「自分を知ること」、そしてそれを言語化することは、全ての壁を突破させてくれます。

これは、海外大学受験だけにおける話ではありません。
前進しようと輝く、主体的に生きる全ての人にあてはまることなのです。

誰かひとりに届けばいい。
でも、そのひとりのことは絶対に救いたい。
そんな思いで書いたこの文章もいよいよ最終章です。
最後の最後まで、握った手は離しません。
どうぞ、最後まで読んでいただけたらうれしいです。

(最終章へ続く)

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