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『東大に行けなければ死ぬと思っていた。』~私が海外大学を選んだ理由~vol.1
序章
「東大、最低でも早慶に行けなかったら死ぬ。」
17才の私は、こんな思想で支配されていた。
本気でそう思っていた。
偏差値が全てだった。
トップの大学に行って、大企業に入る。
それが全てだった。
漠然とした憧れではなく、中学受験を経験した頃からかなり綿密に執念深く“成功”の人生設計を描いていた。中学生の頃には五大商社を売上高順で全て言え、高校に入った頃には、G〇とかモル〇〇という言葉を覚え、赤緑青が大人の世界では何を指すのかも知っていた。
小学校の卒業文集には「この世界の厳めしい現状を、自分の目で確かめて世界に伝え、世界平和に貢献したい」と書いた。これは、紛れもなく純粋な自分の核であり心の叫びだった。本当の自分だった。小学校高学年のとき、とある戦場ジャーナリストの方が取材中銃撃戦に巻き込まれて亡くなったという報道を見た。震えた。世界の現状を初めて身をもって体感した。この頃から、世界平和というキーワードが人生の柱になった。この柱は、今でも変わっていない。この頃の夢は、外交官、法務教官などだった。純粋で熱い夢だった。
それが、10代という吸収盛りの心と脳みそで社会を知っていくとどうだろう。
私の夢、と記した独り言ノートのとあるページには、
・外交官
・法務教官
・総合商社総合職
と、見事なまでに一言、「大人になってしまった証」が書き足されていたのである。
ここで言う大人になってしまった、とは、
社会に洗脳されたということを指す。
だから、大人に“なった”、ではなく、
なって“しまった“、ね。
こんな小中時代を経て、私は高校生になった。
~目次~
序章
第Ⅰ章 偏差値人間の誕生
第Ⅱ章 偏差値人間の決壊
第Ⅲ章 脱皮
第Ⅳ章 国内?or 海外?
最終章「自分とは何者か」
_____________________________________________
第Ⅰ章 偏差値人間の誕生(高校1年生)
高1の頃の私は、自分のプライドを守るために必死に過ごしていた。私の母校では、国数英の授業は成績に応じて3クラスに振り分けられていた。私は1年生の頃、全て1番上のクラスだった。当然だった。なぜかというと、私はもともと通っていた中学校で高1の学習内容を終えていたから。しかし、だからといって手抜きもしなかった。毎朝小テストがあり、落ちたら放課後補習がある。そして何より、昼食の時間に張り出される全校分の小テストの結果に、不合格だと名前が載らない。つまり、合格か不合格かが、友達にばれる。声にはもちろん出さないものの、誰が受かったとか落ちたとか、お互いを察し合う空気感が蔓延していた。たった一つの計算ミスで、仲間外れになる。
自分のプライドを守るために、
完璧な自分でいるために、
必死に過ごしていた。
気が付けば、綱渡りみたいな精神状態でいた。
一歩間違えたら落ちる、
一問間違えたら人生脱落。
偏差値、成績でしか、自分を認められなかった。
そんな状態で、なんとか1年生を乗り切った。
“皆勤賞で。1番上のクラスを維持し続けて。優等生のままで。”
(第Ⅱ章に続く)