
『東大に行けなければ死ぬと思っていた。』~私が海外大学を選んだ理由~最終章
~前回までのあらすじ~
数年間に渡る偏差値人間期間を卒業し、私はようやく海外大学受験を決意した。しかし、海外大学に行きたい気持ちはたしかにあるものの、その理由をうまく言語化をできていない自分がいた。この最終章は、「自分とは何者か」について、徹底的に自分に問いかけた私の海外大学受験戦記である。
最終章:『自分とは何者か』
高3の1年間で自己理解が深まったタイミングは主に2つある。
①「自分とは何者か」という問いとの出会い
高3の夏頃にとある奨学金財団の説明会に行った。そこで、「どんな人材を求めていますか?」と直接スタッフの方(Aさん)に聞きに行った。すると、
「私達が求めているのは『自分を語れる人間』です。ただそれだけです。あなたは、どんな人で社会の何に怒りを感じてどんな社会を作りたいのか。それを語れる人を求めています。」とAさんはおっしゃった。
刺さった。これだ。
この財団は海外大学受験生なら誰でも知っているだろう有名難関財団だが、そんな財団でも求めていることは非常にシンプルなのだ。だが、これが難しい。
そして、Aさんはご自身の「自分とは何者か」を語ってくださった。
ぶち抜かれた。
前職で0から結果を作り上げたお話をしてくださったのだが、単なるお仕事のお話ではなく、
「Aさんとはどのような人間か」という物語を聴いているようだった。
もはや奨学金とは全く関係なかったが、私はAさん自身のお話に興味が沸いてしまいその後も質問攻めしたところ、全ての質問に間髪入れず的確にわかりやすく、そして「刺さる」回答をされた。
それはきっと、Aさんがそれまでの人生を通してご自身に「自分とは何者か」を問うてきた賜物であり証拠だと思う。
私はこの日から、毎日この問いを問い続けた。
新聞を読んで社会に怒りを感じたとき、
本を深く共感したとき、しなかったとき、
やっぱり私は演劇が好きだと感じたとき、
なぜ偏差値に支配されていたのだろうと考えたとき、
誰かの言葉に喜びを感じたとき、
誰かの言葉に傷ついたとき、
なぜか悲しいとき、
なぜか腹立たしいとき、
なぜか心が明るいとき、
自分の思考や感情、興味関心をひとつずつ分析した。
本来は「ああ、楽しかった。」と流して終わりでいいポジティブな感情に対しても、
あえて疑問を作った。
なぜ楽しいと感じたのか、
そこに誰かがいたから?
その人はどのようにみんなを楽しませてくれた?
自分はそれができている?
自分はどうやって人を楽しませることができる?
など、とにかく自分に問いかけた。
ノートに書き起こしたり、マインドマップを書いたり。
また、悔しさや怒りなど、どちらかと言えばマイナスな感情を抱いたときは、
自分をあぶり出す絶好のチャンスである。
自己分析が習慣化になると、
自己理解が深まるだけでなく、
メンタルコントロールもできるようになってきた。
第ⅱ章でも書いたように、私は高2の頃まで感情をコントロールするのが苦手で、
というかコントロールの仕方を知らず思春期の心の荒れ具合に毎回毎回操られていたが、
高3になって大分落ち着いた記憶がある。
これは進むべき道(進路)が定まったというのもあると思うが、1番は、
「自分を知る」=「自分に耳を傾ける」ようになったからだと思う。
自分の思考、性質をとにかく追求する。
そして、自分という人間の解像度を高める。
具体的に。
明確に。
人に伝わるように。
この姿勢は今でも変わらない。
私の人生の基盤になっている。
②リベラルアーツとTEDトーク
そして、この問いに出会った私は、リベラルアーツの教えを通してついに海外大学に進学する確固たる理由を言語化できるようになる。
きっかけは、8月の勉強合宿で行われたTEDトークだった。海大進は例年、この合宿で学年全員と全先生方が見守るステージの上で「自分史」をテーマにTEDトークを披露する。持ち時間は一人15分。英語で。
つまり、学年全員の前で、
15分間、英語で、自分の人生についてプレゼンテーショントークをするのだ。
海外大学受験では、エッセイが非常に重要な要素を占める。また、海大進では、自分自身について探求することが何よりも求められるコースである。
故に、このTEDトークは、
「自分とは何者か」を問い続けたそれまでの結晶を披露する一大イベントなのだ。
そして、受験本シーズンに向けた最後のスタートラインだと私は思っている。
そして、このトーク内容を考えていく中で、
まさに自分史には欠かせない、海外大学に進学した理由を聞かれたときにいつも返すその「答え」を見つけた。
それは、「自分の中には2人の自分がいて、どちらも本当の自分で、愛すべき自分だということ」だ。
以前の章でもお話したように、
私の中には2人の自分がいた。
舞台上で表現することが大好きな自分と、
偏差値を追いかける自分。
それまでは、表現することが大好きな自分が本当の自分で、偏差値を追いかける自分も本当の自分ではあるけれど、好きな自分ではなかった。
しかし、私は考えた。
本当にそうなのだろうか?
学ぶことは小学生の頃から好きだったよな?
夢は、世界平和に貢献することだと、小学校の卒業文集に書いたよな?
あれは、まぎれもなく本当の自分だったよな。
そして、そのために中学受験をし、高校受験もし、勉強してきたんだよな?
そしてその時、
身体に稲妻が走った。
そうだ。2人の私は繋がっている。
表現が好きな自分も、勉強が好きな自分も、
繋がっている。
“アートで世界平和を造る”
これこそが私の夢で、私が成し遂げるべきもので、
私の人生だ。
点と点がつながった。
過去と、今と、未来。
情熱と好奇心。
自分の中の点と点がつながった。
・
・
そして、この思考に至ったのは、間違いなくリベラルアーツの授業のおかげだと言える。
リベラルアーツの授業では、社会の点と点、そしてその結びつきを見つける力がついた。
例えば、音楽史の授業。
それまでは、音楽の授業では歌ったり、楽器に触れたりすることしかなかった。しかし、この授業では、音楽について社会的・歴史的側面から学んだ。
例えば、昔イギリスの議会では音楽を流すことによって議論を活性化させていたことから、音楽はただの娯楽ではなく、平和な社会を構築するための重要な要素を握っていたことを学んだ。
また、みんなのディスカッションが進むと、クラスメイトが「楽器を作ることって、物理学も関わっているよね」と言った。私はこれに感銘を受けた。
このようにして、他にも数学や国際関係学、西洋史などの科目を複数の側面から学び、それぞれがどのように作用しているのか、社会とどのように結びつきがあるのかを学んだ。
この「点と点のつながりを見つける力」が、自己理解にも活きた。
その結果、アートで国際平和を造るためにアメリカで学びたい、という海外大学に進学する理由を言語化することができた。
そして今、
私はアメリカ・ニューヨーク州にて生活している。
数年前には想像もつかなかった未来だ。
そして今日も、私は自分自身について文字に起こし
言語化することで、
想像もつかない未来を確実に創造している。
『東大に行かなければ死ぬと思っていた。』
~私が海外大学を選んだ理由~
(完)