仕事に生きた、伯父のはなし
伯父が亡くなった。
父の兄にあたる人だ。
これまで、何度会っただろう。
そのくらい、会っていなかった。
今から10年前に、病に倒れ、病院と施設で最期まで過ごした。
彼について私が知っていることは、本当にそれくらいだった。
でも、またひとり、血を分けた人を失ったという事実。
自分の親の兄弟という近さにありながらその人の人生を全く知らなかったということ。
喪失感と情けなさ、やるせなさ。
家族や親戚について想いを馳せるきっかけとなった。
彼は、好きなことを仕事にしたようだ。
仕事人間だった。
きっと、仕事が楽しくてたまらなかったのだろう。
しかし、自営業で、生活は苦しかったらしい。
一人息子は大学まで進学し、立派に自立したけど、その裏で大きな葛藤があったに違いない。
病に倒れたのも、仕事中だったそうだ。
それが、仕事好きだった彼にとって幸せだったのかどうかは、わからない。
体が不自由になり仕事ができず、悔しい気持ちもあっただろうし、
体が動くギリギリまで仕事を続けたことは誇らしかったかもしれない。
自宅にも帰れず、生まれ育った実家にも帰れず、
妻を失い、自らも旅立った。
彼は、何を想い、生きていただろう。
何を一人息子に伝えたかっただろう。
私の父もそうだが、彼もまた、多くを語らない人だった。
自分の親族であっても、彼がどういう人だったか、うまく表現できない。
そして彼の周りにいた人は、仕事人間であった彼と苦しいその家族を、どのように見ていたのだろう。
失ってから気づいても遅いし、考えても遅いことかもしれないけど、考えずにはいられなかった。
近くで見ていたはずの人、同じ血を分けた人、頼れるはずだった人。
なのに、その人の人生の1ページすら、書き記せないし、読めない。
書き記したい、読みたい、ということ自体が驕りかもしれないけど、
その事実に少し悲しい気持ちになった。
伯父さん
家に、帰りたかったよね。
家族に、会いたかったよね。
私の小さい頃、何度か会っていた頃は、まっすぐに仕事をしていたんですね。
好きな仕事をして、家族をもって、幸せでしたか。
家族ゆえ、素直になれないこともあったでしょうし、親戚である私も、顔も見せずご無礼でした。
せめて、ゆっくりお休みください。
奥さんと、また、ゆっくりお話してほしいな。
それから、おじいちゃん、おばあちゃんと。
写真、かっこよかったです。
お父さんから、またお話聞きますね。
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