私に必要なもの:正義感、目的、信頼
最近立て続けに、珍しいことが起きた。
起きた、というか自分が行動したんだけれど、あまりに珍しいのでまるで他人事。
ひとつめは、
20人くらいいる中で自分の考えたことやこうしたらいいんじゃないかという意見を伝えつつ結論を出せたこと(仕事ではないのですが、いわゆるファシリテーションみたいな)
ふたつめは、
いつも全然意見や質問を出せなかった大きめの会議で、自信をもって質問できたこと(こっちは仕事)
どちらも、私がずっとコンプレックスに感じていた、「たくさんの人の前で意見を述べるのが苦手」「決めるのが苦手」「会議で意見や質問できない」が、できた!に変わった瞬間。
一回できたからといって、これからも「できる」わけではないのはわかっているけど、
なんとなく自分の中で、克服できたのかもしれないような、つかえがとれたような、不思議な感覚がありました。
次もできるといいなという期待を込めて、「今回はなぜできたのか?」分解してみます。
一つは正義感。
前の記事に書いたように、「これを言わなければみんなが困ってしまう」「これを言ったらみんなのためにもなる」という変な自信や正義感があったので、その意見を言えた。
自分が聞きたいだけ、言いたいだけだったとしても、なんと思われてもいいやという気持ちも少しはあった。
もう一つは自分の役割。
ファシリテーター的な役割をはっきりもった時、今までは単なる司会者にしかなれなかったけど、今回は「この議論をみんなの納得がいく形に結論づけたい」という目標が自分の中に生まれた。
仕事の方では、「この会議でこれをはっきりさせておかなければ、この先の私の役割が果たせない」と思ったから、質問ができた。
「役割を果たす」という意識は、日に日に強くなっている。これは最近の私の中の変化。
最後に、周りの人たちを信じたこと。
別に、今まで疑っていたつもりはないんですけどね。
誰かが感情的になったり、えっと思うようなことを言ってしまった時、たいてい私はそこをスルーしてしまう。今回も、スルーはしたのだけど、それらの発言を全てフラットに受け止めて、
あなたはこういう意見ですね、それなら私はこう思います、って、
対等に会話を進められたことが良かった。
それは、この人(感情的だったりヤバめの発言をしたり)も本当はいい人で、私の意見も聞いてくれるはずだって信じたからできた。
信じたというか、知っていたから、ですね。
強い言葉に屈することなく、その場でボールを打ち返すことが、今までできなかったというか、してこなかったんだけれど、それをやつてみたらうまくいった。
質問もそう。きっと答えてくれると信じたから聞けた。
すごく緊張したし、どれも手や声が震えてたどたどしかったし、心臓がドキドキしてめちゃくちゃストレスがかかつたけど、
そのストレスか無駄にならなかった気がした。
今までは、さんざん緊張してストレス感じて、ステージ袖まで行って舞台に上がらず帰る、みたいな、「なんのための緊張?」って感じだったけど、
今回はちゃんとステージに上がって喋れた、そんな感じ。
終わった後は解放感も達成感もあった。
さて、次もできるかどうかはわからない。
だけど、ほんの少し自信になった。
いや、自信というか、恐怖心が少し克服できた。プラスになったんじゃなく、マイナス分が減った感じ。
勇気を出せば、それで良かったんだよなあって、それはわかっていたけどできなかったんだよなあって。
じゃあなんでできなかったのか?は正直わからない。今回なんでできたのか?もわからない。
一つヒントになるのは、とにかく私は目的がはっきりしないと行動できないということ。形式上質問するみたいなことは苦手で、好奇心のままおしゃべりすることも苦手。ただ目的を達成するためならば、発言ができないってわけではない。
ここ10年くらい、社会人になってからずっと「できない」と思っていたことから、ようやく抜け出せるヒントを見つけたかもしれない。
自分次第、そんな単純な話でもない。
とにかく、自分にはこの時間も必要だったんだと思う。
そうは言ってもすぐに解決する話ではないんだろうけれど、今までとちょっと違う事例が起きたので、貴重な経験としてストックしておく。