森氏の発言と男女平等について考えること
母国のことがスウェーデンのニュースで取り上げられて、こんなに残念な気持ちになったのは初めてだった。
それと同時に、しょうがない、と思う部分も大きかった。だって、森氏が現役バリバリの時代、男性は外で働き、女性は文句を言わずに家を守るという構図が一般的だったのだろう。私はまだ生まれていないのでちゃんとは分からないが。
そして時代は急激に変わり、男女平等が叫ばれる世の中へと発展した。
つまり森氏は男女平等の本質や重要性を知らない、分からないのだと思う。私はフランス語を勉強したことがないから何も分からない。それと同じだと思う。学ばなければ分からない。
知識が無いことが罪なのではなく、学ぶ姿勢が無いことは問題である。そして学ぶことをせず、人として成長するモチベーションの無い人が組織のトップにいることが何よりの問題だ。
スウェーデンでは毎年職場で、上司との面談で今年どれだけ成長できたかを可視化し、それによって次年度の給料が査定される。例えば学校ではここ数年、教師がいかにデジタル教材を使えているか、デジタル教育をできているかが大きな査定ポイントとなる。若い教師にとっては難しいことはないし、それさえやっていれば給料は上がる。ただ一部のベテランの先生にとっては自分が学び、積み上げてきた方法が否定される感覚のようだ。教育のツールが新しいものに変わっていき、ついていけなければ昇給はない。ついていくのを「無理」と言い、デジタル化を拒否した先生もいる。それは昇給や給料の問題だけでなく、教師として成長することを止めたと私は思っている。
どんな立場の人間でも日々学び成長するという姿勢は大切だと思う。それをやめたのなら、その時代に取り残されるまたは自らその時代に残ることを意味し、よって次の世代にバトンを渡すべきであると思う。成長しようとすることをやめたらスポーツ選手は引退する。
今回の件は、これ以上森氏を責めるのではなく、考える機会にしなければいけないと思う。批判している人たちにも、もちろん私にも、男らしさや女らしさで物事を考えていることは日々たくさんあると思う。私は海外でスポーツにチャレンジしているけど、セカンドキャリアについて「女の子は最悪結婚すればなんとでもなるよね」と言われたことは一度ではない。小学校のときは男子は黒、女子は赤のランドセルだったし、「女子アナ」という言葉も普通に使っていた。それになんの疑問も持っていなかった。私の世代も、学校では男女平等の本質について学んでいない。
スウェーデンに移住したての頃働かせてもらっていた日本食レストランで、残りが少なくなってきたら新しく仕込みをし、残りの方に「兄」、新しく仕込んだ方に「弟」と記すことを教わった。古い方という代わりに「兄」と言うそうだ。私は何の疑問も持たずに「兄」と書いていた。
あるとき、そのレストランで一緒に働いていた、日本語がとても上手なスウェーデン人の同僚が、「どうして姉じゃダメなの?」と聞いてきた。男性を意味する「兄」だけ使うのは平等じゃないと思ったそうだ。私は一つのレストラン用語だし、そこまで細かいこと言わなくても…とその時は思った。
が、あれから8年ほど経った今、こういう細かいことに疑問を持つところから意識が変わっていくのではないかと最近ようやくわかるようになってきた。
きっと私はスウェーデンに移住していなかったら、今も何の疑問も持たずに「女子アナ」という言葉を使い、女の子が産まれたら赤やピンクのランドセルを買っていたと思う。フロアボール選手として成長するためにスウェーデンに来たが、一番の収穫は、人を性や国や見た目で見るのではなく「一人の人間」として見るという考え方を分からせてもらったことだと思っている。
森氏の発言は残念だし恥ずかしい気持ちもあるし、そういう方が未だにトップにいるのには驚くが、SNSやメディアで批判しているだけでは社会は変わっていかないと思う。森氏の発言が日本のトップの発言として世界中に報道されてしまったことはもう取り返しはつかないが、このことをきっかけに一人ひとりが自分の考え方や発言について意識や疑問を持ち、どうしたら男女平等な社会に近づいていくかの議論が進んでいけば、それはある意味森氏の功績になるのではないかと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?