平凡の美学 “Nothing Special” is Special
とあるドキュメンタリー番組で、この道40年のバス運転手の日常を追った物語を見ました。コロナ禍で私たちの日々のインフラを支えてくれている「エッセンシャル・ワーカー」という文脈で番組では語られていたのですが、医療・介護従事者以外にも、自分たちの日常を成り立たせるための「エッセンシャル」な仕事がすぐ身近なところに存在しているのだという事実に、改めて気付かされました。
「エッセンシャル・ワーカー」という言葉によって社会から光が当てられる以前から、そうした仕事に携わる人たちは、それぞれの責任とこだわりを持って、「社会が特別視しない作業」と向き合ってきました。しかし改めて考えてみれば、今日の当たり前を、明日の当たり前として継承していくためには、日々の中での飽くなき自問と改善が不可欠であり、それは見方によっては「特別」の連続であるようにすら思えます。番組で取り上げられていたバス運転手は、大ベテランでありながらも限りなく謙虚な姿勢と、「平凡」であることの愛しさと尊さをさらっと語っていたのがとても印象的でした。
新しい価値を生み出し続けることに着目されがちな現代社会の中で、自分にとっての「平凡」を見つめ直し続けることは容易なことではありません。しかし、日本という国が脈々と受け継いできた「道」や「型」の文化は、日々の中にあるシンプルな行為に、魂を注ぎ、探求し、究めていこうとするものです。それが日本独自の繊細で洗練された文化を生み出しているのだとすれば、日本に暮らす私たちはみな「平凡の美学」の素養を持っているのだと考えることもできます。
常識を常識として捉えず、当たり前を当たり前として放置せず、何故そうでなければならないのか、本当にそれが正しいのかと問うてみる。「エッセンシャル」な物事にこそ、そのような視点が大切なのかもしれません。「平凡の美学」は、私たちの日常の中に無限の発見と学びがあることを教えてくれます。そして、そのような思考は、人をどこまでも、謙虚で創造的にしてくれるように思います。
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家で飲む当たり前の一杯を、もう一度丁寧に見直してみる。冷蔵庫でつくる氷の代わりに、大ぶりで溶けにくい氷をコンビニで調達する。グラスを氷で満たして冷やす。しっかりメジャーカップで量を確かめてSIPSMITHをグラスに注ぐ。ソーダはなるべく氷にぶつからないように、ゆっくりとグラスの端から注ぐ。炭酸が抜けないように、混ぜようとせず、マドラーで軽く氷を上下するにとどめる。日本で「所作」と呼ばれるものは、元来物事をひとつひとつ丁寧に行おうとする動きを「型」化したものだと言われています。そんな意識を持ってつくるSIPSMITHのソーダ割りは、自宅での一杯を、常に特別なものにしてくれそうですね。
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