祖父が死んだ。
11月、祖父が死んだ。90歳の大往生であった。
15年程前に脳出血で倒れてから半身不随になった祖父は、10年前の震災をきっかけに老人ホームに入っていた。
私たち家族は、もともと同居していたわけではなかったが、それでも私も妹も帰省の際には必ず顔を見に行った。
身体は不自由でも、頭はしっかりしていた祖父は、いつ会っても変らず年を取っていないように見えた。その間に私は相応に年を取って、結婚し、二児の母になり、いつの間にかアラフォーの中年女になっていた。
事態が変わったのが、今年の6月。
新型コロナのワクチン接種後から、体調が不安定になり、しばらく入退院をくり返すようになった。(新型コロナワクチンとのはっきりした因果関係は不明。)8月以降は入院したままになったが、新型コロナ対策で面会はできなかった。
11月に、入ったばかりの頃、「もってあと2、3日だろう。」と母に伝えられた。私は職場の上司に話し、そこから家族親戚は、なんだか落ち着かない日々を過ごした。
しかし、祖父はそこから飲まず食わずの、点滴さえも入らない状態で1週間も生きてから、力尽きたように旅立っていった。
その2日前の夜、私は夢を見た。
途中までは普通の、高校時代を再現した夢だった。だから登場人物である親友は高校の制服姿で、当時好きだった男の子の話をしながら、一緒に夜の中を私の家へ向かって歩いていた。
しかし、親友と一緒に我が家の門をくぐると、いつもとは違う車が停まっていて、そこで私は、「あ、じいちゃんが危ないから遠方に住む叔父が来たのだ。」と悟った。
実際、庭には叔父と父がいた。いつの間にか夜から明け方になっていたけど、親友は相変わらず制服のままで、なんだか夢と現実が混同したような雰囲気だったな、今思えば。叔父に挨拶をし、私は親友に説明しなければ、と思いながら家の中に入った。
そこで、先に入った親友が、「あ、おじいちゃん?こんにちは。」と声をかけた。そこで私は初めて、自分の背後、玄関の戸の陰に立っている人影を意識した。
今までそこにいたのに、いることは分かっていたのに、なぜか素通りしかけていたその人は、紛れもなくがりがりに痩せた祖父であった。
私が気付いたことに気付いた祖父は、「じいちゃんのこと、見えるのか。」と言って笑った。着物を着ていた。白い着物ではなかったと思う。
「じいちゃん。」と言った私の目から涙が出てきた。「ごめんね。」と言ったが、何に対する「ごめん」だったのか自分でもはっきりしない。なかなか会えないままこうなってしまったことを、心のどこかで後悔していたのかもしれない。
祖父は、「あくしゅ、あくしゅ。」と言って手を差し出した。それは、いつも老人ホームで祖父が、私や娘にする挨拶のやり方だった。丸い指は確かに祖父のもので、触れるとまだあたたかかった。
「ありがとう。」と伝えなければと、強く思ったのに、言いたかったのに、言えなかった。
目が覚める直前、黒髪の若々しい祖父になったように見えた。その姿は私の見たことのない祖父だった。そのまま目が覚めた。
明け方の濃い青の中で、私は泣きそうになっていた。
私や叔父の、繁忙期を過ぎてから祖父は逝った。
おかげで、私はしっかりと祖父の見送りをすることができた。孫代表の挨拶も、ありがたいことに、私がさせてもらえた。見送りの日は、11月にしては暖かい日で、死ぬときまで気を遣うところがまったく祖父らしいと思った。
泣き暮らすほどではないが、やはり祖父の死で心にはぽっかり穴があいたように感じる。
普段、なかなか会えなかったからだろうか。うっかりすると、老人ホームの、海の見えるあのいつもの部屋では、まだ祖父が暮らしているような気がしてしまう。そしてその想像はあまりにも寂し過ぎて、すぐにかき消す。
夏休み、祖父母の家で過ごした思い出。釣り竿を持って堤防の上を歩くサンダルの足や、父と叔父と3人そろった後ろ姿。バイクから降りてヘルメットを取る仕草。好きだったウイスキーの色。
子供の頃の光景なんて、もうずっと昔に失われているもののはずなのに、祖父が死んで初めて、本当にもうあの夏には二度と戻れないのだと、思い知らされた気がするのだ。
子供の頃の自分を知っている人がいなくなるということは、そういうことなのかもしれない。