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【追悼】空を飛ばないツバメが空を飛んでしまった日。

その日も私は仕事に追われ、ニュースを見る余裕などなかった。
数日前につば九郎の活動休止があったのは知っていた。深夜残業の後、Xで繋がっている友達からの報告に目を疑った。

《つば九郎の球団担当の死去》

は?
一瞬意味が分からなかった。
体調を崩して休息宣言をしたところまでしか、私の情報は止まっていた……
続けて、友達から「球団公式発表されました」との連絡が入る。
そこからはXでは津波のように、担当者死去のニュースが流れた。


私はまだこの時、信じていなかった。

何故なら、つば九郎の内臓年齢が同世代だからだ。逝くには余りにも早過ぎる。
しかし。ニュースの一部始終から、球団職員が空港で倒れて救急搬送され、一時的には一命を食い止められたもののその後亡くなられたとのことが綴られてあった。

ここまでにして、ようやく私の中で整理された。

つば九郎が逝ってしまった……と。

翌日。職場内のコンビニに並べてあるスポーツ紙面に、現実を突きつけられる。より傍につば九郎を感じたく、半ば信じたくない思いで新聞を購入した。

読めば涙が出そうなので、さすがに仕事場では読まなかったが、残業帰りの電車の中で読みながらボロボロと泣いた。
Xでの著名人らのコメントに更に泣かされた。

特に落合博満氏。あえて名を上げず、「暖かい場所にいったんだな」の一言に号泣した……


今も泣きながら書いている。
連休と言うこともあり、神宮球場のスワローズショップではつば九郎グッズを求め長蛇の列があったと聞いている。
取り壊しが決まっているつば九郎ハウ巣には、献花ならぬ献るーびーが並べてあって、「人柄ならぬ鳥柄を分かってるな」と涙が少しだけ引っ込んだ。

過去に、つば九郎が東京23区を巡るという企画があり、私は行けるとこまで行ったことがある。
その時の距離感はゼロに近く、今とは考えられないほど握手やサインなど並ばずとも気楽に応じてくれることが出来た。
ホワイトボードでの筆談トークの後だったため、つば九郎は手羽で文字を消していたせいで、握手をしたら手羽はしっとりと水性マーカーて濡れていた。こちらの手も黒くなったのも思い出となってしまった。

中の人が誰だかもわかっていて、本名で呼んでしまうスワファンもいたくらい、そんなゆるい時代の話である。

つば九郎は博識だった。
野球はもちろんのこと、時事ネタなどそれは知識人だった。
内臓年齢らしいオヤジネタをぶっ込み、たまにやり過ぎて球団やその他ジャンルのファンからもお叱りを受けたりもしたが、今となってはご愛敬だろう。

さて。
生前、つば九郎は「つばくろうはいちだいかぎり」と言ったことがあるらしい。なんて男気のある言葉であるだろうか。
マスコットとしての責任感を感じさせられ、彼がつば九郎であることの一生を決めた言葉なのだろう。

実は、私もそう感じている。

代替わりしたとしても〝あの〟つば九郎には逢えない。つば九郎はつば九郎でしかない。
献花や献るーびー、献酒を見ると分かるだろう……つば九郎は1羽でしかないのだ。

昨年、始発で買い求めたつば九郎福袋についていた「サイン付すわ九郎」が、私の家宝になってしまった。
他にも、つば九郎フィギュアやくるりんぱスノーボールなどなど、つば九郎グッズがあふれている。

つば九郎は一代限りと言ってしまったが、グッズとしてはこのまま残して続けて欲しい。
そして、背番号2896は永久欠番でいて欲しい。

四十五日はこの世に滞在してるから、きっとあっちこっちパトロールしてるんじゃないか。そして、天国に行ったらノムさん達が待ち構えていて、「若いのに早過ぎるんだ」とかボヤかれてそうだ。
つば九郎のことだろ、「へでで」って笑ってごまかすに違いない。


今後の球団の方針ついては温かく見守るとして、つば九郎には「さよなら」ではなく、「お疲れさま、ありがとう」と言う言葉を1番にかけたい。

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