否定される、が前提にある場合
先日、「からだと魂と宇宙を繋ぐ葉山合宿 〜地上であなたの存在のスキルを発動・表現する〜 」という合宿型のイベントを行ない、それはそれは高い渦巻きとなっていった解散後の夜、
主催者3人で夕食を共にしている時に、私の中に久しぶりの「悔しさ」という感情が出てきました。そこで、私の中に「否定されて当然」という前提があることに気が付きました。
まさにその状況が映し出されて、私は「わかってもらえない」という気持ちでいっぱいになりました。これは、こどもの時に体験した気持ち。親にも友達に