「待ち」ガイルと「幸せになりたいなぁ」の相関関係をテラスハウスから学ぶ#3
「待ち」ガイルと「幸せになりたいなぁ」の相関関係をテラスハウスから学ぶ#1では獣道でのときどの完敗、「待ち」ガイルと「幸せになりたいなぁ」の相関関係をテラスハウスから学ぶ#2ではときどの優勝について語らせていただいた。実のところ僕は格闘ゲームをほとんどプレイしたことがないし、子どもの頃、数回プレイしたストリートファイターⅡでは波動拳すら出すのが怪しかった。
そんな僕が熱狂的に格闘ゲームシーンをを追っているのは格闘ゲームの選手の物語が壮絶で人間らしくてなんかいいのだ。
この記事を読んで興味を持たれた方がいたら、お勧めのYOUTUBE動画を二つ貼っておくので、ぜひとも格闘ゲームプレイヤーのリアリティードラマを垣間見てほしい。
シェアハウスへの嫉妬ハウス
TOPANGAチャンピオンシップを終えての翌日、感傷に浸りながらも僕の中で新たなプロジェクトが動いていた。それは、テラスハウスを見ようの会の発足だ。
僕は最近、宇野常寛にハマっている。もっと厳密にいうと宇野常寛アナリティクスにハマってる。
宇野常寛は自身のYOUTUBEチャンネルでテラスハウスの面白みについて存分に語っている。その分析力に僕はテラスハウスを見ていないのにもかかわらず感嘆した。
俺も仲間とテラスハウスの分析してぇ……
直ちに僕は暇を持て余してる友達を五人集めて、テラハの面白さ(この時点では見てないのだが想像で)についてセールストークを広げた。人の恋愛を見て何が楽しいんだ、と訝しんでいた声音は徐々に見てやってもいい、と打ち解け、終いには、面白そうだし早速観よう、とわだかまりは15分で雪解けした。
TERRACE HOUSE TOKYO2019-2020のエピソード1-1を見終えて、さあ意見交換だと息巻こうしたところ、そんな空気ではないと察した。どうやら周りはぐったりらしい。
各々は溜息交じりに呟く。
「羨ましすぎて見てて辛い……」
こんなはずではなかった。僕は各々がしたためる煮えくり返った感情の吐露が聞きたかっただけで、何も傷つきあい慰めあいをしたいわけではない。
無言で満たされた寂しさは次の言葉を生むのに躊躇いを与えた。
それでも僕は強豪校の部活顧問よろしく「なんだなんだ、だらしがない。次行くぞ次‼」と発破をかけた。
エピソードを一つまた一つと消化していくたびに多数の人物が声を漏らす。
「幸せになりたいなぁ……」
僕もそう思います。みんなそうだと思います。だが、僕は幸せという言葉がゲシュタルト崩壊し始めた頃合いに何だか違和感を覚えた。
有体に言えば「幸せになりたいなぁ」という言葉にムカつき始めた。
後日、別の友達(普段から盛んにどうでもいい議論をしているイカれポンチ)に「幸せになりたいなぁって言ってる奴ムカつかない?」と疑問を投げてみた。
「人が生まれた後の目標を抽象化したとき、幸せになりたいという目標に着くんだから別によくないですか」と彼は言う。
普段とんちんかんなロジックを組み込むのに、肝心な時に普通のことを言われた。もちろん、僕は腑に落ちずに延々とムカついていた。すると、ようやく答えに近い駅に着いた気配がした。
どちらが言い出したか失念したが、僕は気づかされた。
「楽しいことをしたいなぁ」にはムカつかない。
「攻め」ガイルへの転換と自ら動くことの楽しさ
僕の中でストンと話が落ちたのは、ウメハラがTOPANGAチャンピオンシップの感想戦をしてるところを思い出したからだ。
想定したものと違っていた。準備が足りていなかった。プレイスタイルを変えていくべきだなとおもった。
従来のガイルの基本スタイル「待ち」から守り勝つではもう勝てないと言うのだ。自分からアグレッシブに攻めていかないと相手の思うようにやられる、と。
これはゲームの話だけではない。固定観念に囚われて、思考停止で人生を作業的に消化しても何も豊かにならない。日々、変わることで自分の道を切り開いていかなければ「勝ち」に繋がらない。
「幸せ」だって待ってても向こうから訪れることはないのだ。急に庭に幸せになれる木が生えてくるわけでもないのだ。
「待ち」は辞めて「攻め」に転じなければいけないのだ。能動的に楽しいことをして、結果として幸せがついてくる。そういうことじゃないか。
次に「幸せになりたいなぁ」という声を聞いたら僕はまずこう言う。
「君、梅原大吾を知ってるかい?」
おわり。
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