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小説家になるにはどうしたらいいんですか?

いきなり重い話をするようだが、自己紹介をするにはこの情報は欠かせないので述べておく。
私は統合失調症という精神病を患っている。
障害者手帳を持っているから、精神障害者ということになる。
発症したのは十六歳、高校二年生の秋である。
あの頃はマンガ家になりたかった。
その夢と現実の狭間で苦しみ病気になった。
大学は文学部哲学科に入った。
東京の大学ならばどんな学部でもよかった。
ただ、最初に合格通知が来たその哲学科に進むことにした。
私はマンガ家を目指し、本を読み、マンガを描いた。
出版社に持ち込み、どこに行っても「絵が下手すぎるから諦めた方が良い」と言われた。
そう言われたからと言うより、自分で生き生きした絵が描けないことに悩んでいた。バイトも怖くてできず、社会に出るのが怖かった。
大学三年生のことだ。
私は静岡の実家に帰り、大学は休学し、ようやく精神科を受診した。
一年半休学し、四年生として復学して卒業した。
私は負けず嫌いだったので、こんな精神病という多くの人が絶望するような状況で「歴史に残る芸術家になってやる」と野心をたぎらせていた。「勝ち組」になりたかった。
当時、精神障害者は一般的に作業所で就労支援を受けて、そのあと、調子が良くなったら、一般の仕事に就職する、そういうルートがモデルになっていた。
だが、私は大学卒業後も一年くらい精神科デイケアに通っていたが、そういうモデルルートでは病気は治らないと思い、自分でハローワークに通って肉体労働の仕事を見つけた。
病気を隠して働いた。
私はその頃、マンガ家は諦め小説家になりたいと思っていた。
もし、就労支援施設などで、「どんな仕事に就きたいんですか?」と聞かれたら、私は「小説家になりたいんです」と答えたと思う。
そうすると支援員はなんと言うだろうか?
小説家になるためのルートはどこにあるのだろうか?
「小説家になるには大学の文学部に入るべきじゃないかな?」
と言われるかも知れない。
いや、私、大学の文学部を卒業してるんです。
「じゃあ、小説家を養成する専門学校に入ったらどうだろう?」
その養成所では誰が教えてるんですか?
ノーベル賞作家ですか?
どうせ、小説執筆だけでは食っていけない作家が教えてるんじゃないのですか?
私は、大学に進学する際、マンガ家養成所なども一応考えたが、そこで誰が教えているのか考えた。私は宮﨑駿みたいになりたかったので、マンガ家養成所の講師などどうせ小者だろうと思い、養成所には入らず大学を選んだ。当時、声優ブームで東京などにはそこら中にアニメ専門学校ができた。その一部門にマンガ家クラスがあった。
画材屋などに「マンガの描き方」という本があると、私は手探りで読んだが、中にはこいつバカか?と思うような内容があった。
例えば「敵の描き方」などという章があった。いや、人間を敵と味方に分けちゃうの?哲学が足りなすぎないか?私は哲学科に入ったことを本当に良かったと思った。私が本で読んだマンガの描き方は、主に、道具の使い方だった。しかし、マンガの指導では、たぶん物語の書き方が、幼稚なのではないかと想像した。物語を本気でやるならば、文学部がいい。いや、独学でもとにかく名著を多く読むことだと思った。
それがマンガ家を諦め小説に転向した私には大いに役に立った。
私は肉体労働をしながら、小説を書き始めた。
村上春樹の『ノルウェイの森』に感化され、村上春樹の文章みたいな「僕は」の一人称の作品を書き始めた。ようするに真似から入った。
そして、徐々に自分の文体を習得していった。
小説家養成所?
誰が教えてるんですか?
たとえ村上春樹でも嫌ですよ。文章は文章から学ぶべきだ。
私は小説家になりたいんです。
「じゃあ、出版社に勤めてみるかい?障害者枠でなにかないか探してみよう」
いや、出版社に入ると小説家になれるんですか?
それより、いろんな経験をして、沢山本を読んで、沢山小説を書くことが小説家になる道なんじゃないですか?
「あなた、それは妄想じゃないかな?まずは働いて生きていけるようにならないと」
そのために肉体労働のバイトをしています。
肉体を使い、なるべく頭を使わずに、コミュニケーションで使う語彙も少ない仕事が心のリハビリになると思うんです。
そう思い、私は二十代は肉体労働を続けた。
だいぶ良くなった。
ただ、肉体労働だと、家に帰ってから小説を書く余力が残っていないのがまずかった。
私は適度に肉体を使い、適度に頭を使い、職員の人柄も穏やかであるだろう介護の仕事を見つけて就職した。
三十四歳のことだ。
以来、四十六歳の現在まで同じ職場で介護の仕事を続けている。
家では小説を書いている。
最近、noteに小説を有料で公開した。
もう自称小説家だ。
小説だけで食っていけるようになれば、「自称」が取れて、本物の小説家になれると思う。
思えば、私は就労支援は受けなかった。
きつい肉体労働だったが、自分に厳しくやり通した。
その二十代があったからこそ、今の私がある。
小説家・・・絶対になってやる。


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