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統合失調症になってからの?段階説

あくまで私の感想だが、統合失調症を患ってから、人生を生きていく上でいくつかの心の段階があるように思う。
段階というとマズローの欲求五段階説など、欧米人の学者が好きな考え方だと思うが、私はあまり段階というものを信じていない。
そういうものを想定してあたかも真実のように当事者に説明するのは賢い学問の在り方ではない。
では、なぜ、私が統合失調症になってからの心の段階があると言うかというと、そういうものを想定して、同じ統合失調症当事者に「あるある」と頷いてくれればそれで良いと思うからだ。
この段階というものを定式化せず、「あるある」の話で留めておこうと思う。だから、「?段階説」とした。

まず、統合失調症を発症して最初の段階は、自分が病気であるとは認めない段階だ。
病気であるということに気づかない段階と言ってもいいかもしれない。
私は高校二年で発症し、大学三年生まで浪人の一年を含め五年間この状態が続いた。人によってはすぐに病院へ行くかも知れないが、自分に病識がなかったり、周りがそれを認めたがらなかったりしたら、受診への道は閉ざされてしまうだろう。私の家族は、「あんたは病気なんかじゃないから」と高校三年生のときに慰めてくれた。おかげで私は浪人して大学受験をしなければならなかった。地獄だった。

次の段階が、当然ながら、自分は病気であると認める段階だ。
この段階になると、精神科受診ということになる。
しかし、悲劇はあって、自分に病識がないのに、周囲が自分を病気だと決めつけ、精神科病院に入院させてしまうケースだ。保護室というところに閉じ込められ、自分ではなぜ、そのようなところに閉じ込められたか理解できず苦しむことがあるらしい。(あるらしいと他人事のように書いたのは私は入院歴がないからだ)。任意入院とは違い、強制的に入院させられるのは本人は納得できないだろう。しかし、そんな経験があっても、やがて自分の病気を認めるときが来るらしい。

次の段階が、積極的に病気と闘おうとする段階だ。
服薬やデイケアなどを利用して、病気を治そうという段階だ。
私の場合、大学三年生の夏に初診を受けて、薬を飲み始めたとき、「人生をかけてこの病気と闘っていくんだ」と誓いを立てた。
「九十九歳で死ぬ瞬間に心が晴れるかもしれない、その瞬間のために生きよう」私は本気でそう誓った。

次の段階は、同じ当事者がいるという経験を通して、自分は独りではないと思う段階だ。
百人に一人がなる病気だと知れば、いくらか心は慰められるものだ。
私はデイケアに通い、仲間と出会った。
私の世代ではまだ「精神障害者=凶悪犯罪者予備軍」みたいな偏見があり私にもそれがあった。だから、実際に同じ病気の仲間ができると、その偏見は取り払われるし、なにより、誰かと時を過ごすという経験は思い出になり心の励みになるものだ。
私にとってデイケアが青春であるが、悪い思い出ではない。

次の段階は、病気と共に生きていこうとする段階だ。
医師の説明を聞いたり、自ら調べたりして、現在の精神医学では、統合失調症は完治はないが寛解はあるということがわかる。
それならば無闇に病気を治そうと闘おうとするのではなく、落ち着いて、この病気を持ちながら、健康ではないながらも、良く生きようと思う。
この段階では仕事をしようという意欲も出てくるかも知れない。

次の段階は、普通に生きたい、と思う段階だ。
普通に働きたい、家族生活を送りたい、などと思うだろう。
しかし、この段階は、病状からまだ早い場合が多かったりして失望を味わう可能性がある。仕事ができない、やっぱり自分は障害者なんだ、と落ち込むことがあるかもしれない。しかし、この前段階、病気と共に生きていこうという段階に戻れば、「まだ早かったんだ」と落ち着いて、再チャレンジに向けて準備ができるだろう。焦らないことが大切と思うだろう。

次が、これは例外かもしれないが、働いて、ある程度普通に近づいたときに、自分の進歩を喜んで、同じ当事者にこの喜びをわかって欲しいと、統合失調症の人のために働こうと志を立てる人がいる。私もそうだったが、私の友人にもそういう人がいるし、何よりこのnoteの統合失調症当事者はおしなべてそういう傾向がある。そういう志を持つ過程では、これは運命だ、生きる目標だ、統合失調症になってよかった、と思ったりする。
これは一見肯定的だが、病気の過程としては途中である。なぜなら、後ろを向いているからである。

そして、次に来るのが、好きなことをして生きたい、というあたりまえの段階だ。趣味などに没頭し、自分が病気であることさえ忘れる段階である。薬は飲み続けるものの、それは習慣の一部で、個性のようなものくらいに思う。こうなったら寛解なのかもしれない。(かもしれない、と書いたのは私自身寛解になったかどうかわからないから、寛解とはどういう精神状態かがわからないからだ)。
この段階に来れば、あとは人生を良く楽しく生きていこうとするばかりで、もう病気で悩むことはない。


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