読書がしたい
自分の小説を書き終えた。
書き終えたと言っても、推敲しなければ完成には至らない。
しかし、物語としては結末まで行ったので、自分の中に流れる物語の時間は止まっているというか、物語の時間の外にいるので、なんとなくソワソワしている。
物語が読みたい、そんな思いがする。
以前から読みたかった『ダルタニャン物語』を全巻予約注文した。
しかし、まだ手元にはない。
現在、ガルシアマルケスの『百年の孤独』の文庫本が売れているということらしいので、手元に全集の一冊があるので再読しようかと思っている。
ガルシアマルケスはフォークナー系の作家で、私はその系が基本的に嫌いであるが、ガルシアマルケスと中上健次は好きである。小川国夫とかは嫌いだ。フォークナー系の作家にどれだけの人がいるか知らないが、私は論理的に物語が展開していくものが好きである。だから、『ダルタニャン物語』だ。
とは言え、私はまだ『ダルタニャン物語』を読んでいない。最初の刊である「三銃士」は読んだことがある。好きである。私は子供のとき『アニメ三銃士』が大好きだった。あのシナリオは『ルパン三世』の作者モンキーパンチだということだ。
ただ心配なのは作者であるアレクサンドル・デュマの作品ということで、彼のもうひとつの代表作『モンテクリスト伯』がつまらなかったことだ。脱獄するところまではメチャメチャ面白かったがそのあとが面白くなかった。『ダルタニャン物語』も「三銃士」だけが面白く、それ以降はつまらなかったらどうしよう、などと考えてしまう。
しかし、冒頭に述べたように私は物語を書くか読むかしていないとソワソワする病気なので、『ダルタニャン物語』は届き次第読み始めようと思う。
しかし、私は物語の中にいないとなぜソワソワするのだろう?私は小説家となって世界に出るという物語の中に閉じこもっている。人生というイメージの中にいる。自由な人は人生を物語化しないと思う。出世物語の中にいるうちは自由に生きているとは言えないかもしれない。