『剣岳、見参!』13、再び室堂平
九時に雄山を下り始めた。
その道は下山道と登山道が分かれていて、それだけ多くの登山者が、というか参拝者がいるかを物語っていた。実際、私は下山道を降りたが、登山道は多くの参拝者、高校生、あるいは中学生、あるいは小学生?の集団が登って来たりした。私も高校時代、一年の終わりから二年の秋まで山岳部に所属していたのである。インターハイ予選では私の捻挫がなければぶっちぎりの一位で全国に行けたのである。そうしたら、推薦でどこかの大学の山岳部に入ったかもしれない。そしたら、今頃は、エベレストに挑んでいたかもしれない。しかし、山岳部を辞めるのは病んだ心のせいだった。私は山岳部を辞めて、運動部を辞めて、読書クラブというのに入って、完全に自分を、身体のある存在である自分を見失った。それで統合失調症を発症したとも言える。そんなことを考えながら将来のある山好きな子供たちが羨ましかった。精神の危機というのは誰にでもある。強くあるために悪いことをしなければならないこともある。尾崎豊の詞にこんなのがある。「僕が僕であるために勝ち続けなければならない」「ときには誰かを傷つけても」これは別の歌の詞であるが、合わせると意味がわかる。俺は高校三年生の統合失調症急性期に、ギター部の奴を中心としたクラスカーストの上の奴らにいじめられていた。俺が死んだような顔をしていたからいじめたのだろう。俺はいじめられたから統合失調症になったのではない。統合失調症になったからいじめられたのだ。俺も小学生の頃、クラスカーストでは上にいたから、いじめる奴の気持ちがわかる。だけど、いじめは絶対にいけない。俺は中学生の頃からそのことを強く意識してきた。しかし、あいつらは高校三年生にもなっていじめをしている。小学生か?というような高校時代のことを回想したのは、下山して家に帰って二日経った今、パソコンに向かってのことである。ただ、子供たちの未来が羨ましかったのは現実に雄山を下りながら感じていた。私はしかし、山に登るとき過去を振り返ることは少ない。とくにこの立山のような神のいるような場所で過去の惨めなことでクヨクヨと悩んだりしない。むしろ私は、山に登る子供たちを見て、将来自分に子供ができたら、一緒に登りたい、というような前向きな思考をするのである。
九時四十五分一ノ越についた。眼下に見える室堂平は近くて遠い。しかし、一ノ越をすぐに出発し、石をコンクリートで固めた道が始まると、いよいよ、室堂平に着く。そうしたら、ミクリガ池温泉に入ろう。そのことばかり考えていた。そして、十時二十五分室堂山荘前に到着した。そこで、言われていたように、母親に無事下山したことをラインで送った。それから私は室堂平の散策路を歩いて、ミクリガ池温泉に到着した。日本一標高の高い温泉だそうだ。登山の時、こういうのを誰かに自慢することを夢想するのも楽しい。「俺日本一標高の高い温泉に入ったんだぜ」と言えるのは自慢だ。もちろん今回の一番の自慢は剱岳登頂だが。で、この温泉に入り、窓から地獄谷を見た。もはやたいした景色には見えない。私はすぐに温泉を出た。帰りたいのだ。まだ、色々考えることはある。とりあえず、室堂ターミナルに行き、来たときに食べなかった、高山そばを食べた。そして、私は立山黒部アルペンルートのバスに乗った。