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理想の女

私は高校生の頃から理想の女と付き合い結婚したいと思っていた。
その理想の女性像として利用したのが、宮崎駿が描くアニメの美少女たちだった。その容姿だけではなく、性格や頭の良さも理想像に含まれるようになった。アニメではなく現実で言うと、NHKの女性アナウンサーを私は理想の女性として考えるようになった。つまり才色兼備だ。私はいつもNHKのニュースを見ていて、その美しい女性アナウンサーを見てうっとりしていた。そのアナウンサーが流暢な英語で外国人に質問しているのを見た日にゃあ悩殺ものだった。
よく結婚に際して、「よくぞ、あんなに素晴らしい女性を選んだ、偉い!」などと褒める人がいる。そして、褒められて喜ぶ男がいる。私もNHKのニュースの美人アナウンサーと結婚したら褒められるだろうか?誰に?親に?人は褒められるために結婚するのではない。
私は褒められて伸びるタイプだった。テストで良い点を取って先生や親に褒められると私は嬉しかった。褒められるために勉強をした。中学生になって学校のテストで順位が出るようになると、私は上位を目指すよう努力した。
ところで私には小学生の頃から好きな女の子がいた。その子はかわいくてモテる女子だった。頭がとくに良い子ではないが、明るい子だった。しかし、よく考えてみると、その子がかわいいとされるのは、マンガやアニメの影響だったと思う。私もマンガやアニメで育った人間だ。主人公は世界で一番かわいい子と付き合う。私の世界は学校だった。学年で一番かわいいその子と仲良くしている私は世界の主人公だった。しかし、中学生になると疎遠になり、話しかけることができず、告白もできず、違う高校に進学したことでその恋は散った。私の進学した高校は地元ではトップの学校で、彼女の進学した高校はそうでもない学校だった。そこで私はその失恋を乗り越えるために学歴を利用した。彼女を自分とは住む世界の違う学歴の低い人間と思うように努めた。だから、宮崎駿の描く頭のいい美少女を理想とするようになった。現実ではNHKの女性アナウンサーだった。中学生の頃だったか、当時の皇太子様が結婚したとき、母が、皇太子妃を「美人ねえ」と言った意味がわかった。ちなみに私の母は国立大学を出ている。中学生の私はその母の言葉がわからず、「ブスじゃん」などと言っていた。しかし、高校生になると、「皇太子様は女性を見る目がある」などと思うようになった。私は実際に女性と付き合うことはなく、理想の女性像だけを探究していった。容姿は宮崎駿の描く美少女似で、頭が良く、教養があり、学歴が高く、利発で、明るく、行動力があり、生きる強さがあり、社交的で、良い家庭に育ち、ついでに英語ができ、年齢は私と同じくらいかそれより若く、そんな女性像を創り上げていった。そのために学問をした。私の選んだ大学の学部学科は文学部哲学科だった。哲学者ニーチェは、「その妻を見れば、その男がどんな人物かわかる」などと言っていたそうだが、私は深く頷いた。宮崎駿も高学歴というか高い教養に憧れる男だった。そして、彼の代表的美少女キャラ、ナウシカは武芸にも秀でていた。しかし、現代日本では武芸は評価されない。NHKの女子アナウンサーのように才色兼備が理想とされると思う。これは結局、日本の社会が生み出した理想の女性像であり、未だ男性中心の多様性のない女性像に過ぎない。私は女性の社会進出という言葉を聞いたとき、NHKなどの女性アナウンサーを思い浮かべる。なぜか彼女らは一様にタイトスカートを穿いている。これは私の偏見かもしれないが、あのセクシーなタイトスカートは現代のコルセットであり、女性を締め付け男性を喜ばせるものだと思う。タイトスカートを穿いた女性が、「男女共同参画社会」などを真面目な顔をして、テレビで語っているのを見るとき、矛盾を感じるのは私だけだろうか?女性がタイトスカートを穿いてグングン男性社会に進出していくのは、男性目線の理想の女性像を女性自ら受け入れているに過ぎない。社会に出る女性がなぜ化粧をするのか、その意味を考えてみれば、まだまだこの社会が男性のものであることがわかる。そして、高学歴な女性たちの多くが、高学歴な男性の創り上げた理想の女性像に自らを合わせていくとき、現代の教育界が歪んだものであることがわかる。また、高学歴でない女性の中には「カワイイ」という概念に囚われて、美容整形したりして、男性の欲望に合わせているのも見過ごせない事態だと思う。もちろん男性が、腹筋が割れているのがカッコイイとこだわり、ジムに通って努力するのも問題だが、そのような男女の理想のイメージは幼い頃見た絵本やマンガ、アニメ、映画など視覚的芸術の貧困さに責任があると思う。
多様性を生きる社会でアイドルという同じような美男美女が職業として成り立っている現実は、多様性の貧しい社会であると思う。
アイドルは若者や学歴の低い層の欲望が作り出すものだが、高学歴のエリートが作り出す才色兼備の女性のイメージも、じつは学問というコルセットが締め上げている女性のイメージに過ぎない。そういうことを私たちは自覚し、「良き人」の多様性豊かなイメージのある社会を作っていくことが重要な課題であることは明らかだ。

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