見出し画像

小説家は政治と関係があるの?

 今、寺尾隆吉という人の書いた『ラテンアメリカ文学入門』という本を読んでいる。
私はペルーに旅行に行こうと思っていて、現地の知識を知ろうと思って買った本の一冊がこれだ。
途中まで読んでいて、「なんかなぁ~」と違和感を覚える。
いや、これは昔から感じていたことだが、文学、とりわけ小説は政治とどれだけ関係があるのか?
この本を読んでいると、ラテンアメリカの小説家は小説を書くだけでなく、政治活動もしているみたいだ。
いや、小説って物語でしょう?
それを書いた小説家がなんで政治活動するの?
小説が政治批判する場合もあるけれども、基本的に物語とは、「あ~楽しかった」みたいな本なんじゃないの?
西洋人はよくわからない。
日本人の小説家は、あまり政治に関与しないように思う。
一般的に小説家は多くの人を感動させ楽しませればいいと思うし、深い洞察も「生き方」についてであって、政治の在り方を云々したいならば、小説という形を取る必然性はないように思う。
三島由紀夫は自衛隊にクーデターを起こせ、起こさなければ俺は死ぬ、と言って死んだ。あの人の小説にはたしかに右翼思想の美学があったけれども、作者が政治参加する必然性はなかったような気がする。
石原慎太郎は、政治家になったけど、彼の小説が直接政治と関係があったかと言うとなかったと思う。
小説は政治の手段ではない。
昔の欧米は小説を書けるような知識人はごく一握りの人で、影響力もあったろうから、自然と政治活動に巻き込まれていったかもしれない。
私も小説家だが、政治活動したいとは思わない。
自分の小説を政治の道具にしたくはない。
政治のために物を言いたいのならば、評論家になるか、直接政治家になればいい。
小説家が政治活動をするなど、小説の芸術性を貶めているように思う。
いや、私は平和な日本に暮らしているからそんなことが言えるのかも知れない。
日本が戦争をすれば、私だって小説を書くうえで、内容が平時とは違う物になるかもしれない。
しかし、日本の小説家は伝統的に政治の表舞台に立ったことはないと思う。
たかが小説家が政治に口出しをするのはおこがましい、そう思われてきたように思う。
それが日本の小説の伝統でもあると思う。
村上春樹の人気があるのは、彼がいわゆるノンポリだったからだと思う。
私は宮﨑駿が好きだが、彼は左翼だと言われる。しかし、私は彼の映画を政治思想とは関係なく観ている。彼は沖縄米軍基地辺野古移設反対の団体の共同代表とかになったらしいが、私は彼がなぜそのような政治活動をするのかわからない。『となりのトトロ』の作者は左翼だ、などと、政治的レッテルを貼られるのは芸術家として作品の現実からの独立性を保つためにはマイナスだと思う。
と言うより、私がノンポリなのだと思う。
私は平和主義者だが、剣と魔法でドラゴンと戦う小説を書いている。「平和の中の趣味」だ。もし日本が戦争になったらそういう戦いのある小説は書かないと思う。
少年を冒険に駆り立てるような小説、戦場に行くようにけしかける小説、そんなものは絶対に書かない。しかし、私は正義のヒーローが悪人と戦う物語で育った。その出自は争えないと思う。現在、子供たちがどういうマンガを読んでいるか知らないが、『ワンピース』や『鬼滅の刃』を観る限り、怒れ、戦え、と少年を焚きつける物語の人気があると思う。
また宮﨑駿に話が戻るが、彼は、怒れ、戦え、とは言わなかった。ナウシカは冒頭で怒りに我を忘れて兵士を何名か殺してしまう。その後悔の気持ちが、マンガ全般を通じて貫かれている。『君たちはどう生きるか』では、主人公はケンカがあるかもしれないが友達を大切にする汚れた世界を選ぶ。ヘビースモーカーの宮﨑駿は、現実の悪徳の快楽を実生活では味わっているのだ。私は宮﨑駿に騙された。『天空の城ラピュタ』のパズーをお手本に生きたのたが、彼女はできなかった。女と付き合うのは悪い奴だと思った。宮﨑駿は早い年齢で結婚しているらしい。ずるいよな。現実を生きるにはちょっとくらい悪徳を覚えていた方がいいらしい。
いや、話は逸れたが、このように宮﨑駿は左翼でも、人生の生き方の深い所まで表現しているが、具体的に政治はどうあるべきか、というビジョンは作品に表現していない。政治思想があるにしても、それは作品の感動を演出させるための道具に過ぎなくなる。
私も小説で、革命の動乱とか書きたい人間だが、その際の、政治思想よりも、懸命に生きる人間模様を書きたいと思う。
司馬遼太郎は、『竜馬がゆく』を書いたが、新撰組の『燃えよ剣』も書いた。異なる立場の歴史上の人物を独自の視点で書いている。そこには人間愛がある。理想に燃えて生きた人々の生き様を書いている。政治の行き着くべき先を小説で書くのではなく、あくまで時代の中の人間を描いている。
小説は人間愛に裏打ちされた普遍的な人間の生き方を書くべきで、その物語を政治の道具にしては、せっかくの物語世界が台無しになると思う。その小説家の立場は、政治的にはノンポリだが、ヒューマニズムとしては王道であると思う。


いいなと思ったら応援しよう!