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統合失調症になる前、なってからの私の人生

幕末の志士、高杉晋作の言葉に、「おもしろきことなき世をおもしろく」というのがある。
これを知った高校一年生の自分は非常に共感した。当時、現在が面白くなく将来の夢ばかり見て生きていた。「将来、世界的なマンガ家になって、世界の歴史に名を残すんだ」ほぼそれしか考えていなかった。これは中学二年生からプロ野球選手になることだけを考えて生きていて、中学三年生でそれが無理そうだと思ったときに手塚治虫の『火の鳥』に出会い、「これだ!」と思った。そして、中学三年生の終わり頃には宮崎駿みたいになることしか考えない少年になっていた。
なぜ、世の中が面白くなくなったか考えてみると、性欲が強くなったのに女の子とエッチなことができなかったことがひとつの原因として挙げられる。私は小学四年生までは毎日好きな子の体を触っていたから性欲は満たされていた。周りからは冷やかされていたから、これは良くないことなのかと思い、五年生になると女の子の体は触らないことにした。中学一年生までは女の子無しでもそれなりに楽しく過ごせたが、二年生になると女の子無しの日常に不満を覚えるようになった。そして、目立ちたがり屋の私はエッチを含めてなるべく目立たないように努めていた。目立つのは不良だと思ったからだ。これには父が私の中学の教頭になったのも理由だろう。この頃から、「今は目立たなくても、将来でっかい花火を上げてやるぞ」と思うようになった。当時の将来の夢はプロ野球選手だったので毎日、野球部の練習が終わって家に帰ってからも自主トレーニングに励んだ。世界一の野球選手になろうと思った。女の子のほうは、仲のいい子もできず満たされなかった。そして、上記のように三年生で野球選手の夢からマンガ家の夢に移行した。世界一のマンガ家だ。高校に入っても彼女はできず、友達もあまりできず、将来のことばかり考えていた。その頃偶然、司馬遼太郎という作家を知り、幕末に興味を持った。「おもしろきことなき世をおもしろく」私にピッタリな言葉だった。しかし、共感はするものの世の中がおもしろくないという前提が嫌いだった。しかし、現在がおもしろくないのは事実で、将来の夢は私にとって、人生をおもしろくするものだった。「人生は歴史に名を残せるかどうかのゲームだ」これが中学二年生からの私の人生観だった。間違っているのはわかっていた。しかし、不良にならないためにもこの思想で生きることが私の精一杯だった。この間違った思想のために高校二年生の秋に私は統合失調症を発症した。死にたかった、消えたかった、苦しみを消すためにはなんでもしたかった。しかし、死んだら負けだと思った。まだ、セックスをしていなかったし、歴史に残ることもしていなかった。私は生にしがみついた。病気を治すことが人生の目標ではなかった。幸福になることが目標ではなかった。歴史に名を残すことが目標だった。ゴッホみたいな人生でもかまわなかった。そのために大学受験も頑張り大学に入った。マンガをいくつかの出版社に持ち込んだ。どこに行っても「諦めたほうがいいよ」と言われた。なぜだろう、自分には何が足りないのだろう、そう考えたとき、自分が精神病であるからだと気づいた。精神科を受診した。大学は一年休学してから、復学し、卒業した。その後も定職には就かずマンガを描いたり、小説を書いたりした。働いた方がいいと思い、思い切ってクローズでパートの肉体労働をした。そのせいか徐々に精神病も良くなっていった。三十四歳で介護職に就き、現在の四十四歳まで続いている。ほぼ健康だ。マンガ家は完全に諦め、小説家を目指している。まだキチガイだ。四十代、小説家としては最盛期だと思う。私はようやく今を生きている。世界の頂点を目指している。キチガイだが、スリリングだ。波瀾万丈だ。人生はおもしろい。

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