見出し画像

自立は他律?

よく私は精神障害者の友人などに、あなたは自立している、と言われる。
たしかに私は一般の仕事をしている。
しかし、自立しているか、と言うと、そういう実感はない。
私は介護施設で介護士として働いているが、毎朝、起きて出勤できているが、それは自立と言うより「他律」と言ったほうが正鵠せいこくを射ているだろう。
なぜなら、私のような雇われ者は会社など、組織が出勤時間を決め、それに従っているだけなのである。自分で決めて早起きしているわけではない。仕方なく早起きしているのである。だから、私は予定のない休日などは昼まで寝ていることがある。
高齢男性に多いと思うが、自炊をしたことが一度もなく、お母さんが作ってくれていたのが奥さんに変わっただけ、という人は社会的地位が高くとも自立していると言えるだろうか。男はおカネを稼いでくるから偉い、と言う時代は終わっている。現在の七十代くらいの夫婦で、自立しているのは多くの場合奥さんだろう。奥さんが夫の面倒を見ている夫婦のカタチになるのが多い気がする。学校に遅刻せず、会社に遅刻しなかっただけの人間は自立していたと言うより他律されていたと言ったほうがいい。仕事をするならばそれを生きがいとし、死ぬまで働きたいと思うくらいでなければならない。
私は小説家として、小説を世界の歴史に残すことを生涯の目的にしているので、その夢が叶うまでは死ねないと思うし、死ぬまで夢を追い続けると思う。小説は恐らく、かなり高齢になっても書けるものだと思う。だから、小説に関しては私は自立していると胸を張れる。しかし、現在の職業である介護士としては、他律されているような気がする。別に死ぬまで介護したくないし、小説家デビューしたらすぐに辞めようと思っているからだ。そんな私は実家暮らしで、まだ、七十代のお母さんの作る料理を食べている。それが情けないのだが、小説が売れたら、家を出ようと思っていて、と言うか、現在の実家を建て替えねばと思っていて、そうしたら、晴れて自立だと言えると思う。
私には登山の趣味があり、休日には日の出前に起きて出かけることがある。しかし、そんな早くに起きて出かけるなんて自立していると言われるかもしれないが、私の意識では、登山をしていると世間に吹聴ふいちょうしているので、その手前、義務的に登山という趣味をやっている。これはほぼ他律である。
カネがあれば海外旅行をしまくりたいが、もし海外旅行に行くことになっても、それが自立であるかわからない。なぜならば、飛行機の出発など、旅行には、自分次第ではどうにもならない社会の決め事に従わねばならないから、他律だろう。
しかし、この他律がいいのかもしれないとも思う。
ニートにはこの他律すらない。
精神障害者はデイケアに通うなど、生活のリズムをつけることからリハビリを始める。行く場所がない、というのは人には苦痛であるようだ。学校などがあることが、いかに良いことだったか、行く場所がなくなってわかるものだ。
では、自立とはなんだろう?
私は自営業の人こそ自立していると思う。
自分で仕事を決め、自分で税金を納め、そういうことをやってこそ社会の中で生きているような気がする。
とは言え、私の登山と同じように、自営業の人も案外他律的な感覚で生業を営んでいるのかもしれない。
自立・・・、社会に生かされているのを他律とするならば、人間はたいてい他律である。自立とは、自律という意味で、自らを律することができてこそ、自立だろう。しかし、会社に遅刻しないように早起きしようというのが他律だとしたら、自律として、自らを律する余地はどこに残されているだろう。
私にはまだこの答えが見つからない。

いいなと思ったら応援しよう!