憧れの自分はたいがい独り
私は四十代だが、将来の夢があり、小説家になりたいというものだ。
その将来の自分の姿を思い浮かべるとき、たいがい独りであることに、今、思いが至った。
芥川賞の金屏風の前にいるときの自分も独りだし、ノーベル文学賞を受賞するときも独りだ。奥さんが隣にいるとしても、受賞者は自分独りである。
夢を叶えるというのはたいがい独りではないだろうか。
少年がチームプレイのスポーツで仲間と共に優勝したいというのはそうではない。
しかし、最優秀選手になりたい、とかだと独りの夢になる。
私は登山をするのだが、最近『ソロ登山は惨めだ。だが、そこがいい』という記事を書いた。
私は登山に憧れるとき誰と登るかを考えるのではなく、どこに登るかを考える。そのときは常に独りで登ることを考える。
ソロ登山やソロキャンプに憧れる若い人もいると思うが、それは上記の独りの夢であり、惨めさもどこかにあるものだと思う。
そうなると小説家になるという夢も叶った場合、惨めさがあるかも知れない。
やはり夢は誰かと共有できるものの方が豊かかも知れない。
登山では独りで登り、独りでテントを張り、独りで食事をする、そういうものに憧れる人もいると思う。そういえば登山系ユーチューバーはたいがい独りだ。
若い人が誰かに憧れるのも普通独りの人に憧れる。
あの人のようになりたい。
その夢を叶えた自分の隣に現在の友人がいるだろうか?家族がいるだろうか?
こうして、私自身、若い頃の夢を追い続ける先輩として若い人に言いたいが、あなたの夢は、自分独りの夢か、それとも誰かと共に分かち合う夢か。
夢を見るなとは言わないが、できれば誰かと分かち合う夢を見るほうがいいと思う。