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私が統合失調症について書かなくなった理由

私は統合失調症を患っている社会福祉士です。
統合失調症当事者である社会福祉士として何か世の中の役に立てることはないだろうかと考え、「心のリハビリを考える会」を立ち上げようとしました。
その報告をnoteに書いて世間に公表することで、統合失調症になったら、どんな生き方をすればいいか、考えるヒントを提供できればと思いました。
しかし、ちょうどそれを始めようと思った頃に新型コロナのパンデミックが起きました。
「心のリハビリを考える会」は立ち消えとなりました。
私は結局、しばらくnoteに統合失調症になったらどういう心得で生きたらいいかを自分の体験を踏まえ文章に書いていきました。あの頃は、noteで「統合失調症」と検索すれば必ずどこかに私の記事が載っているくらい私は文章を書きました。
私は使命感に燃えていました。
「統合失調症当事者として、生きるヒントを提供する」そういう志を持っていました。
しかし、書きまくっているうちに書くことがなくなりました。
それからは夢である小説家になるために考えていることを書くなど、統合失調症や福祉とは関係ないことを書くようになりました。
最近では完全に小説のことばかり書いていました。
だから、私のことを小説家と認識して、統合失調症当事者であることを知らない読者も多かったと思います。
ところで、あなたは風邪を引いて苦しんだとき、「よし、世の中の風邪の患者のためにできることをしよう」と志を立てるでしょうか?
普通、医者に行き、薬を飲んで回復したら風邪のことなど忘れて日常生活を楽しむようになるでしょう。
統合失調症も同じだと思うのです。
統合失調症は克服し、その病気を忘れ、健康な人間として生きていく、これが理想ではないでしょうか?
いたずらに使命感を持って、「統合失調症の方の力になりたい」と思うのは病人としてお門違いではないでしょうか。
治ったら病気のことは忘れればいいのです。
いや、統合失調症の場合、精神病ですから、むしろ「積極的に忘れる」ことが寛解への近道だと思います。
統合失調症福祉にこだわっていつまでも病気から抜け出せないことの方が問題だと思います。
「統合失調症の経験を活かす」というのは「風邪の経験を活かす」みたいに的外れなことかも知れません。病気のことは医療関係者が研究していけばいいのです。もちろん当事者の声がなければ医療関係者も研究が捗らないと思います。
私は『心のリハビリを考える』というマガジンに統合失調症関連の記事をまとめてあります。そのマガジンにまとまりきれないほど膨大な記事を私は書いてきましたので、私の過去の記事を探してくだされば、統合失調症から抜け出す為のヒントに出会えるかも知れません。もちろん私だけでなく、noteには当事者がたくさん声を上げていますから、それらを読むと他の人がどう考えているのかわかると思います。
ただ、人生を統合失調症に捧げるのは私は勘弁して欲しいと思うのです。
福祉施設などでピアサポーターになる人もいるでしょう。私はそういう方を批判するつもりはまったくないのですが、統合失調症になったから、当事者の声を上げるべきだとか、当事者の権利のために奮闘するべきだとか、そういう使命感を持つのは短絡的な気がします。
そんな使命感に燃えるよりは、病気を克服し、自分の人生の夢を叶えるほうがどれだけ素敵な人生か、そう思うのです。
私は小説家として有名になりたいという夢があります。
中学生の頃からマンガ家になりたいと思っていて、絵が下手なので小説に転向しました。ようするに物語作家になりたいのです。その途中の事故として統合失調症になってしまいました。ですから、私にとっては物語を書くことのほうが、統合失調症との付き合いより長いのです。
そんな私が、物語を書かず、統合失調症の福祉のために生きることにしたら、それは統合失調症に人生を奪われたカタチになると思います。
統合失調症になった場合の一般的な生き方として、まずは医療機関のお世話になる。そして、福祉のサービスのお世話になる。それから、普通に働いて自立した生活を送れるようになる。最後に自分の人生の夢を叶える。となるのではないでしょうか。
病気を生きがいにしてはいけないと思います。
統合失調症を克服し、夢を叶えることの方が、この病気を研究する上で重要な事例になると思います。
ただ、私は薬を一生飲み続けることになると思います。それは自分が統合失調症であることを自覚することです。しかし、現代の精神医学の知見は尊重したいと思います。精神医学では、「寛解」とは言いますが「完治」とは言いません。私はどちらでもいいですが、医学のことを考えるのは通院のときと、服薬のときだけにしたいと思います。私は治ったと思っても「念のため」通院し服薬します。
先にも述べましたが、私は有名な小説家になりたいのです。もし、私がそうなったら、この記事を読んでいるあなたは、「この小説家、あのnoteで統合失調症のことを書いていた人だ」と思ってくれたらいいと思います。そうすれば統合失調症でも小説家になれるということを世間に証明できると思います。当事者の社会福祉士として、福祉をやっているよりは社会的なインパクトを残せると思います。私が小説家としてヒット作をたくさん書ければ、統合失調症への社会的認知は大きく変わると思います。
風邪が治ったら、風邪のことは忘れて生きるように、統合失調症が寛解したら統合失調症のことは忘れて生きたいです。それが統合失調症になった人の、普通の在り方だと思います。

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