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【長編小説】『アトランティス世界』3

三、 出航

 ガラパゴス博士とマイル少年はスーツケースを持って、列車で港のあるサウサンプトンまで向かった。
 車内でマイル少年はガラパゴス博士に言った。
「博士は」
マイル少年は伯父をそう呼んだ。
「博士はなんで、僕をこの旅に誘ってくれたんですか?」
「それはな。マイル君には広い世界を見て欲しかったからだ。私にはあいにく子供がいない。甥姪と言ったら妹の子である君しかいないのだよ。当然、私の遺産は君のものになるんだ。君がつまらない人間になったら、その使いみちを誤るんじゃないかと思ってね。君には立派な大人になって欲しいんだよ」
「僕がサッカー選手になれないと悩んでいたからじゃないんですか?」
「うん、それは妹から聞いていた。君はまだ狭い世界しか知らない。その狭い世界で苦しんでいる。私はそう思った」
「でも、サッカーは僕の夢でした」
「若い頃の夢はな、叶わなくともいいんだよ」
「え?」
「その夢に向かってまっすぐ努力したという経験が大切なんだ。それが将来きっと役に立つ日が来る」
「本当ですか?」
「本当だ」
「博士は成功者だから夢は叶ったんですよね?」
「夢は叶っていないよ」
「え?」
「科学者はね、すべてを理解することなく死んでいく。本当は全てを知りたいと思っている。でも、自分の人生でわかることはほんの僅かだ。だから、残りは後世に託す。まあ、夢と言うと、私の場合は、恐竜がかつてこの地球上を歩いていた時代があった、それが夢さ。夢は目標とかそういうのとはまた別なんだ。私は恐竜の研究に生涯を捧げて幸せだったと思っている。まだ、終わっちゃいないが、死ぬとき、きっとそう思える。だから研究を続けている」
「へ~、すごいな。でも、恐竜研究って地味じゃないですか?」
「サッカーは地味じゃないのかね?」
「華やかですよね。ワールドカップとか」
「恐竜研究も普段は地味だが、新しい発見があったりすると世界中の新聞記事になることがある。華やかじゃないか。サッカーだってそうだろ?普段の練習は地味じゃないかね?」
「でも夢があるから」
「恐竜にも夢があるよ」
「あ、そうか。なるほど」
少し考えてマイル少年は言った。
「僕が悩んでいたのは将来の夢だけではないんです。学校でいじめがあったのにそれを見て見ぬふりをしてしまいました。いじめられていたのはそんなに親しい子じゃなかったけど、僕は何もできなかった自分が情けなくて・・・」
「そうか、そうだな。そういうことは誰にでもある。それで悩んで潰れてしまうか、前向きに生きて、次に生かすか、それが大事だ。マイル君はそれに悩んで学校に行けてないのなら、潰れる方向に進んでいることになると思うよ」
「僕が潰れる?」
「とにかく、そういう悩みは頭の隅に置いといて、前向きに明るく生きなさい。そのうち答えは出るからね」
「明るく・・・?」
「これから、大西洋を横断するんだよ。何を暗いことを考える必要がある。大西洋の向こうは新大陸アメリカだ。君はこの旅で成長するんだ。世界を見るんだ。過去にばかり囚われていてはいけない」
マイル少年は笑顔になって答えた。
「はいっ」
 サウサンプトンに着くとふたりはホテルに泊まった。出航は翌日だ。マイル少年はなかなか眠れなかった。
「ニューヨークか、どんな街だろう。映画とかで出てくるイメージ通りなのかな?やっぱり博士が言うように自分の眼で確かめるって大事だな、うん」
 
 
 「起きなさい、マイル君」
ガラパゴス博士の声がする。男の手がマイル少年の肩をゆする。マイル少年は目を覚ました。窓から朝日が差し込んでいる。博士は言った。
「さあ、朝食だ」
ふたりはホテルの一階にあるレストランでビュッフェスタイルの朝食を取った。食後にガラパゴス博士は紅茶、マイル少年はコーヒーを飲んだ。
「アメリカのコーヒーは薄いんですかね?」
ガラパゴス博士は笑った。
「そうかもしれんな。だが、私はアメリカでも紅茶を飲む。荷物の中にも紅茶のパックを入れてきた。私は世界のどこにいても紅茶派だ」
マイル少年は笑った。
「イギリス紳士?」
「そうだな」
博士も笑った。
 ふたりは部屋に戻り身支度を整え出発の準備をした。そして、部屋を出て車輪のついたスーツケースを引っ張りながら、廊下を歩きエレベーターに乗った。一階のフロントでチェックアウトを済ませるとふたりはロビーのソファに座った。マイル少年はニヤニヤしていた。
「何をニヤニヤしているのかね、マイル君?」
「いや、僕、船の旅って初めてで。それに、貸し切りクルーザーで大西洋横断なんて僕は博士が伯父さんでラッキーだったなぁ、と思っています」
「ほっほっほ、その笑顔を忘れずにな」
マイル少年は伯父にそう言われると、つい先日まで、いじめを傍観していたことや、サッカー選手になれないと苦しんでいた自分がいたことに気づいた。でも、マイル少年は嫌な気はしなかった。それは過去だ。自分の眼の前には前途洋々たる未来、いや、広大な大西洋が広がっているのだ。このホテルのロビーからは見えない海を想像し、マイル少年はよりいっそうニヤニヤした。
 ホテルの玄関からロビーに三十歳ぐらいの細身のひょろりとした男が入って来た。辺りをきょろきょろ見回し、ガラパゴス博士とマイル少年を見つけると近づいて来た。
「ガラパゴス博士とその甥御さんですか?」
ガラパゴス博士は答えた。
「うむ、そうだ」
「俺はジョン船長の部下のハックというもんです。お迎えに来ました」
「ありがとう」
ガラパゴス博士は立ち上がった。
「さあ、マイル君、行くぞ」
「はい」
三人がホテルの玄関に横付けされてある車に近づくと、そこに立っていた運転手がガラパゴス博士に挨拶し、ふたりのスーツケースを車のトランクに積み込むと、ドアを開けて博士とその甥を車の後部座席に招き入れた。ひょろりとしたハックは助手席に乗り込んだ。運転手は運転席に座ると、ギアをドライブに入れてアクセルを踏んだ。車は港へ向けて走り出した。マイル少年はこのハックという人と運転手のガラパゴス博士に対する慇懃な態度に感心して、出世するとこんな待遇を受けるのかと、大西洋横断とは関係ないことを思った。が、それは一瞬のことで、初めて来たサウサンプトンの街並みを見ながら、眼は海を探していた。
 そして、港に着いた。運転手がドアを開けてくれ、ふたりが地面に立つと、そこに白い服を着た四十代の背の高い逞しい男が立っていた。
「博士、おはようございます。お久しぶりと言うべきでしょうか?」
ガラパゴス博士は彼と握手して笑った。
「いやぁ、二年ぶりだな。ジョン君。あいかわらず独身かね?」
「それは痛いことをおっしゃる。僕は船を妻にすると決めるほど、まだ老けちゃいませんよ」
「ははは、そうか、それならばよろしい。ああー、紹介しよう。甥のマイル君だ」
男はマイル少年を見下ろして笑顔で言った。
「僕はこの航海を任せられた船長のジョンです。よろしく」
背の低いマイル少年は笑顔で握手して言った。
「よろしくお願いします。僕はマイルです」
ジョン船長は言った。
「さあ、船に乗りましょう。あの白い船です。と言ってもみんな白いですね」
たしかに船着き場にあるクルーズ船はみんな白かった。
「我が社、『アトランティック・クルーズ社』の文字が入っているあの船です」
確かにその船には『アトランティック・クルーズ社』の文字があり、その下に大きく『アトランティス号』とあった。
 ジョン船長とハックがスーツケースを運んでくれた。そして、船に乗り込んだ。船は小型クルーズ船で、操舵室が一番上にあり、その下に客室と食堂、厨房があり、さらに下に船員の部屋や船倉があった。客室から出ると食堂がありデッキに出られた。客室にはベッドがふたつあった。ジョン船長は言った。
「この船は、よく、金持ちの新婚さんが使う船です。いつもは地中海やカリブ海に行くことが多いですね。ま、今回はニューヨークだから、カリブ海よりは近いけど、男ばかりというのは華がないですね。おい、ドギー!」
ドギーと呼ばれた三十代と思われる太った男が、船倉がある下の階から上がって来た。
「ドギー、このふたりが今回のお客だ」
ジョン船長がそう言うとドギーは笑顔になってガラパゴス博士の手を取った。
「ガラパゴス博士、お久しぶりです。あっしのこと覚えていますでしょうか?」
「もちろんだよ。ドギー君。モロッコへの短い旅だったが、君の作ったパエリアは最高だったよ」
「パエリア!あっしの作ったパエリア!ああ、コックとしてそれは嬉しい。で、こっちの少年は?」
「甥のマイル君だ」
「マイル君。ガラパゴス博士に似て聡明そうだ。よろしく」
マイル少年はドギーと握手して言った。
「よろしくお願いします」
「おお、さすが、礼儀正しい言葉。将来はやっぱり科学者かな?」
「将来・・・」
マイル少年は将来という言葉に少し暗い気持ちになった。夢は破れた、そのことを思い出した。だが、今はエンジン音が鳴る船のデッキにいる。暗くなる必要など何もなかった。
「将来のことはまだ考えていません」
ドギーは返答に困った。人生がどうのという語彙は持ち合わせていなかった。
「そ、そうか、まあ、よろしく」
ジョン船長は言った。
「じゃあ、出発だ。空は晴天、波は穏やか。行くぞ」
船は岸壁を離れ、港の中央まで後ろ向きにゆっくりと下がり、向きを変えて港の外へ向かって出航した。


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