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平和、日常、ルーティーンの大切さ。統合失調症と共に生きて思うこと

私は十六歳で重い精神病である統合失調症を発症した。
当時はまだその病気の名が精神分裂病と呼ばれていて、キチガイとか、狂人とか、凶悪犯罪を起こす人とか、ひどい偏見があった時代だ。
しかし、この病気はたしかに重く、精神がどうなるのかと問われれば、当事者の私が説明すると、「精神統一ができない」ということだと思う。
また、私は精神科にも通わず、大学時代を一人暮らしで二年半過ごした。
怠惰な生活で、本を読んだり絵を描いてばかりいた。夏休みなど眠る時間は、夜更かしをすると、翌日起きる時間が遅れ、その日も夜更かしをすると、また起きる時間が遅れというふうに、次第にズレて昼夜逆転し、それが一周回って、また夜に眠るようになる、そんな過ごし方をしていた。
私は大学では哲学を専攻していたので、どう生きるか、ということをよく考えていた。よく考えた末に、自分は精神病だ、精神科を受診しよう、と思って、大学三年生の夏休みに実家に帰り通院を開始した。
初診を受けたときに誓いを立てた。
「薬は欠かさずに飲もう」
「徹夜はしない」
このふたつは最低限守ると決めた。
もうあれから二十五年経ったが、この誓いを破ったことは一度もない。
そして、私は統合失調症から抜け出す為のリハビリについて自分で考えた。
哲学科時代の読書が生きた。
私は「習慣」というものを重んじた。
習慣が日常を作る。
毎日同じことを繰り返していると精神が安定し、心の平和が保たれる。
この繰り返しの日常とは、生活の仕方だけではなく、同じことかもしれないが思考のパターンも同じように繰り返すことが大事だということだ。
私は今の仕事でもそうだが、二十代の頃から、仕事の昼休みは必ず昼寝するというルーティーンを作った。いくつか職場を経験したが、昼寝のできない職場は苦痛だった。現在はエアコンの効いた畳の部屋で昼寝ができ、大変快適である。
統合失調症になってからすべきことはまず、ルーティーンを作ることだと思う。
じつはこれは、統合失調症に限らずすべての人に言えることで、子供の時、学校に行くというルーティーンが私たちの生活、人格、幸せの実感を形作っているものであると思う。
毎日が初体験で、イレギュラーなことばかり起きている波瀾万丈の人生だったら、あまり私たちは幸福を感じないと思う。
同じことの繰り返しが、幸福を作るのだと思う。
統合失調症からの、ルーティーン作りは、健康への道というよりは、幸福への道だと思う。
不安なことばかりで、精神が統一できなかったら、健康な人でも統合失調症に近づく。
毎日同じことの繰り返しで、しかも楽しければ、幸福に近づく。
そういう日常を作るために、人間は文明を持っており、政治も、その土台となる平和を作り維持するために存在する。
私たちの日常のルーティーン、幸福への条件は平和のうちにある。
私たちが政治参加するのは自分たちの日常のルーティーンを作るための平和のためであり、平和の中で私たちは自ら好きな日常、好きなルーティーンを選ぶ自由があることが幸福の条件だと思う。
統合失調症を抱えて生きて来て、私はそういうことに気づいた。


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