見出し画像

私の人生を決めるのは医者でも事業主でもない、私だ!

九月になったばかりのある日、最近のことだが、出勤すると、医療指導書とかいうものを受け取った。内容を見てみると、五月に受けた健康診断で便潜血が確認されたため精密検査を受けろとのことだった。便潜血の結果と精密検査を受ける指導は六月には受けていたが、検査は受けないことにしていた。

なぜなら、ほとんど毎年、精密検査を受けていて、肛門からカメラを入れて大腸の中に癌がないか調べるのだが、いつも「異常なし」だからだ。

この検査、非常にめんどくさく、全部で三日、私の貴重な時間を費やさねばならない。

まず診察を受けて、後日検査ということになるのだが、検査の前日は大腸内を空にするために、医者から渡されたキットの粥のような食事を三食食べていいだけで、他には一切食べてはいけなく、水だけは飲んでよいということで、下剤を飲み便を出す。翌検査当日はもちろん朝から何も食べてはいけないのに加え、下剤を大量に飲んで下痢便を出し、便の色が透明になるまで下剤を飲み続ける。予約時間の十一時に医者へ行くと、肛門の所に穴の開いた検査着に着替え、また下剤を飲み、トイレで排便し、コールボタンを押すとナースが来て、便の色を確認し、「ああ、まだ茶色いですね、また下剤を飲んでください」と言うので私は下剤を飲みベッドに寝ていて、便意を催すとまたトイレに行き、排便し、ナースコールボタンを押し、ナースが来て確認し、「まだですね」となり、それを何度も繰り返す。私は「ウンコを透明にすることができないダメな子」みたいに扱われ、非常に精神的苦痛を伴う。そして、いよいよ検査室に入り肛門からカメラを入れる。そして、検査が終わるとしばらく待たされ、診察室で写真を見せられながら、「異常なし」を告げられる。

「どうせ痔ですよ」と私は事前に医者に言うのだが、医者は「それはわからないので検査は受けてください」と言う。そして、検査を受けてみて、結果は「異状なし」なのだ。それが毎年で、一度だけ良性だがポリープがあり切除されたことがあるだけだ。四十歳のときのことで、そのとき私は自分が「あと三十年の命」などとなぜか勝手に意識するようになった。その翌年も便潜血がありさすがに怖くて検査を受けたが、異常はなかった。やっぱり痔なのだ。

この痔というのは高校生の頃からで、原因はウンコのあと、紙でお尻を強く擦りすぎることだ。なぜそんなに強く擦るようになったかというと、それは小学三年生の頃に遡る・・・。

小学三年生だった私は水泳の授業の前に、教室でみんなと水着に着替えるのだが、ある友達の白いブリーフ(今はどうか知らないが、当時はパンツと言うと白い綿のブリーフが一般的だった)のパンツに茶色の染みがついているのを見つけ、「わー、こいつのパンツ、ウンコついてらぁ」などと言って、いじめたことがある。すると女子の中で正義感の強く、まあ、私とは仲の良かった女子が、「あんただってパンツに染みがつくことくらいあるでしょう?」と叱って来るので、私はからかって、「あ、て言うことは、おまえのパンツも染みがついてるな?」と言って泣かせてしまった。実に悪い奴だ。しかし、そんなことを言った手前、私は自分のパンツに染みがつくことを極度に恐れ、毎朝、自宅トイレで排便すると必要以上に紙で強く擦るようになった。それが高校生の辺りから「痔」という結果に表れたわけだ。因果応報、いじめた罪が、高校生から現在まで「痔」という罰となって私を責めているのだ。だからこれは罰なので、一度も肛門科を受診したことはない。治そうというつもりもない。

どうせ痔であるのに、カメラを肛門から入れるために下剤を飲んで何度もトイレに行くという精神的苦痛を伴う検査を、毎年二日間かけて受けるということは、あと三十年の人生のうち、六十日も無駄にすることになる。最初の受診日も入れれば九十日だ。しかも、この精神的苦痛は二日間だけでは終わらないのだ。人間は嫌なことがあるとそのことを強烈に覚えているものだ。同じ六十日ならば好きなようにしたい。

だから、私は今回の「指導書」の返答に作文を書いて、精神的苦痛を伴う検査は受けたくない旨、事務に届けた。産業医からどういう返答が来るかわからないが、たとえ事業主が命令しても、私は絶対に検査は受けない。事業主や産業医あるいは政府に、私の貴重な六十日を奪う権利はない。

長寿国日本、長生きをすることが人生の目的だろうか?長生きのために苦痛を伴うことをやらされ、貴重な自分の時間を無駄にすることは豊かな人生と言えるだろうか?

私の人生を決めるのは私自身である。社会に生かされるのではなく、社会の中で自分の意志を通して生きるのだ。


いいなと思ったら応援しよう!