『剣岳、見参!』8、懸命の鎖場、ヤバイ、カニのタテバイ
六時四十二分剣山荘出発。
いよいよ、剣岳へアタックだ。
左手の親指の血もだいぶ止まってきた。大丈夫だろう。
七時四分、一服剣着。その後、前剣を登るはずが登山道にあるペンキの矢印通りに進んだらスルーしてしまったようだ。
ただ、その前だったと思うが、怖いことがあった。落石だ。
浮き石の多い岩場の道を登っていると、上で「ラーック」と声がした。上を見ると、三人いて、そのうちひとりはガイドでふたりはそれに従う夫婦のようだった。ってそんな分析はどうでもいい。俺の頭の上にふたつの赤ん坊の頭ほどの大きさの石が転がり落ちてくるのである。俺は野球の内野手さながら腰を低くして構えた。躱そうと思ったのだ。道は避けるだけの幅がある。石は音を立てて勢いよく落ちてくる。つづら折りの道だが、石は弾んで落ちてくる。しかし、運良くふたつの石は俺の上の道でその落下をやめた。あー怖かった。このときは、あとになって振り返ればこれが今回の登山で最大の難所になるだろう、と思った。
だが違った。
鎖場は多くあったが、噂通り、いや、噂以上に手強い奴がいた。「カニのタテバイ」である。
二十メートルほどあるだろうか、鎖が何カ所かに打ち込まれ一本の糸となって下まで降りているのである。最初の登り口がいきなり難しかった。鎖を掴みつつ、岩に打たれた杭に足をかけねば上がれなかった。しかし、上がるしかなかった。引き返す、勇気ある撤退も大事だ。しかし、ここは私の頭は「行くべし」と冷静に判断していた。落ちれば確実に死ぬのである。しかし、それはどこの岩場も同じだ。カニのタテバイで問題は俺の体力だった。
なにしろ朝のというか深夜の二時四十分から歩いているのだ。現在は九時前。こいつを登りきる体力は俺にあるか?「ある」。答えはそうだった。しかし、そのあとに不安があった。帰りにはカニのヨコバイがある。その他にも鎖場はある。本日の宿、剣山荘まで体力が残るだろうか。それがわからなかった。しかし、目の前には鎖が垂れている。山頂で休憩して、パンを食べてコーヒーを飲めばいくらか回復するだろう。ああ、さっき剣山荘で見たカルピスが飲みたい。そう思うと頭の中はカルピスのことで一杯になる。いかん、これは去年奥穂高で経験したラーメンの幻と同じだ。あのときは雨の中穂高岳山荘に着けば温かいラーメンが食べられる、そんなことばかり考えていたら、奥穂高からの下りで何度も尻もちをついて大怪我をしそうになった。その状況と現在のカルピス願望がまったく同じなのである。ただ、思うのは塩分が欲しいということだった。そう思うにつけカルピスが俺の眼前に現れるのだった。そのとき思い出した。朝のお弁当で、銀紙に包まれたチーズが入っていた。それをウエストポーチに入れてあったのだ。よし、山頂で食べるぞ、と俺は思った。しかし、そんなことを思っただけで力が出てくるわけがない。俺はこの道々、剣岳は大人向けのアスレチックだと思った。子供だって危険な遊びをするだろう。登り棒に登って降り方がわからなくなったどうしよう、などと泣く奴があるか?ジャングルジムだって落ちたら死ぬ可能性もある。剣岳はそれと同じだ。ただ、対象が大人なだけだ。俺は冒険が好きな少年だった。目の前にこんな冒険が垂れ下がっている。逃げるか、やるか?やる。俺にはそれ以外に答えを見いだせなかった。鎖を持ち、杭に足をかけた。思えば普段、山登りで足は鍛えている。しかし、腕を鍛えることはまったくしていない。俺は全体重を両腕が持つ一本の鎖に預けた。自分の限界ギリギリだった。俺は上を見た。やめよう、帰ろう、それは死を意味する。登るしかない。そのとき一瞬思った。こんな仕事を毎日している職業の人もいるんだろうな、と。俺は今、遊びで命を賭けている。このとき考えたわけじゃないが、ハイデガーは実存に至るには不安が原動力になるなんて言ったな。しかし、このとき俺を突き動かしていたのは不安なんかじゃなかった。死への恐れでもなかった。上に登ろうとする生きる力だった。あの同室者は子供がいるともし自分になにかがあったとき家族が困る、ということを言った。しかし、もしかしたら、子供や家族がいるからこそ、生きて帰らねばという思いが強くなるのではないか?俺は妻も子供もいない、それでも生きたい。こんなところで死んでたまるかよ。剣岳別山尾根ルートを登った人はみんなここを通ってるんだぞ。こんなところで死んだら情けねーや。いや、情けないからとかじゃない。生きる。俺は生きるぞ。必死で?いや、必死という言葉は、死ぬ覚悟でという意味だ。俺は必死ではない。生きようとしている。じゃあ、なんだ?命を賭けている。つまり懸命だ。懸命に生きようとしている、登ろうとしている。生きるも死ぬも自分次第。ほら、両手の力を抜いてみろ、落ちて貴様は死ぬ。死にたいか?俺は死なない。生き抜いてやる。俺は鎖を握って岩に足を突っ張り、鎖を張って、両手の力でグイグイ登っていった。どこまでいけば楽になる。どこまで登れば休憩ができる?それでも鎖は続いた。息もつかせてくれない。どこまで、どこまで登れば!あ、そうだ、さっき先に登ってた人はもうちょっと上で小休止していた。よし、あそこまで登ろう。あそこまで生きよう。そのあとのことはそのあと考えよう。絶対に攻略するぞ剣岳!ああ、着いた。終わった。まだタテバイは終わりではないが、おそらく最大の難所は通過した。さっき先に登っていたおじさんが小休止していた場所だ。俺も呼吸を整えよう。ああ、空気、おまえが無料で俺に息吹を与えてくれる。おまえのおかげで俺は生きられる。おまえがいつも近くにいるおかげでどんな難所もクリアできる。ありがとう、空気、地球よ、空気を引きつけてくれてありがとう。おまえの引力のおかげで俺はこうして苦しい中も生きられるんだ。深呼吸すれば俺の肺は満たされる。さあ、次だ。登ろう。もう少しだ。もう少しで剣岳山頂だ。ああ、鎖場は終わった。あとは、ほら、あの黄色いペンキの導きに従って登っていけば、山頂に着く。そこでコーヒーを飲もう。この登山は去年奥穂高を登ったときから始まっている。この山頂が今年の俺のピークだ。今年のメインイベントの極みを俺は登っている。それにしても岩を乗り越え乗り越えしてもなかなか山頂に着かない。あれが山頂かと思った岩が、じつはただ出っ張った途中の岩に過ぎない、そんなことの連続で、精神が疲れた。だが、山の神は俺に休息をもたらせてくれる、山頂だ、あの石垣は間違いなく山頂の祠だ。祠の後ろ姿だ。俺はその石垣の東側に回り込んだ。
九時七分、剣岳登頂。
そこには五人ほど人がいた。俺と同じ道を来た勇者たち。中には早月尾根という別ルートから来た人もいるが、いずれにしろ、今、剣岳山頂にいるのは世界の中でこの五六人だけだ。俺は記念写真を撮ってもらった。そのあと、座る場所を探した。ああ、疲れた。おお、ここにいい石がある。まるでソファの背もたれだ。背もたれの前にはお尻を入れるのにちょうどいい窪みが。俺はそこにお尻を入れて、石の上に両足を投げ出した。ちょうど南向きだ。よし、ここでパンとコーヒーにしよう。俺はアタックザックから水筒とパンを取り出した。
一応、母が下山したら連絡を寄越せと言っていたのを思い出し、登頂の報告もしようとラインを送った。念のためメールも送った。それから俺はゆっくりと食事をした。チーズも食べた。周囲の景色は霧だった。それでも俺は不満はなかった。帰りの心配もあったが、とにかく体を休めることを考えた。