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私は文章家

最近、というか以前から、登山系のYouTubeをよく見ている。
私は山を登る人間であるので、次に登る山の情報をYouTubeから得ている。
見ていて思うが、私も動画を撮って、YouTubeに載せたらどうだろうか。
考えてみても、どんな動画になるのか皆目見当がつかない。
さっき、結構なおじさんの登山YouTubeを見ていたが、やはり若い人の動画の方が見ていて良い気持ちになるようだ。私も四十五であるため、二十代の女の子みたいな登山系ユーチューバーにはなれそうもない。それにどういう演出をするかもまったくわからない。登場シーンからして、アイディアがさっぱりない。だいたい、なんのためのYouTubeかわからない。私のように登山の情報を集めるために見ている人が多いだろうから、別に私である必要もない。私にはどんな魅力があるだろうか?
小説家を目指しているから、登山しながら、文学とか哲学とかを語ったら個性が出せるのではないか、と考えてみたが、そんな動画の需要はないだろう。おまえの思想などどうでもいい、山の情報が欲しいんだよ、と言われそうだし、言われる前に、他の動画に切り替えられてしまうだろう。
しかし、私はYouTubeではなく、すでにnoteに文章で登山のエッセイを書いている。私は動画で自分が出るよりも、文章で書いた方が、山の魅力を表現することが出来ると思う。
小説家を目指しているのだから、当然文章力が問われる。私はその文章に自信がある。私は小説が書籍として出版されたら自分は小説家であると認識しようと思っているためまだ小説家は名乗らないが、noteで文章を書きまくっているうちに、自分は文章家であるという自覚が生まれてきた。
かつてはマンガ家を目指していた。
今は小説家を目指している。二十代から書いているから、二十年以上になる。文体が出来たと思っている。あとは物語を書く技術を、物語を実際に書くことで磨いていかなければならない。このままではエッセイストになってしまう。私の本懐は小説にある。いや、もともとマンガやアニメを作りたかった。映画でもよかった。だが、小説という資本が安く上がる表現手段を選ぶことになった。自分のパソコンを初めて買ったときも、インターネットに繋がずに、ただワードで文章を書くためだけに使っていた。私は、ストーリーライター(SW)をこのnoteで名乗っているように、ただ、文章を書きたいのではなく物語を書きたいのである。その物語の表現手段が、文章家としては小説ということになるのだ。
しかし、こうやって、小説でない文章を書いていると小説の能力が鈍るかもしれない。しかし、ショートショートなどを書きたいと思ったことはない。ネット小説の場合、特にnoteの場合、長編は好まれず、短い物が好まれると思う。だから、多くの小説家志望者が、noteに短編を書いていると思う。しかし、私は半日で読み終わるような程度の長さの物語を書きたい。これはnoteには需要はないと思う。しかし、去年の一月から今年の五月まで「小説家になろう」に連載した超長い即興小説『最低な三人の異世界転生ドラゴ二ア冒険記』というあえてライトノベルに寄せた作品が、連載終了した八月現在でも少しは読まれ続けているのに気づいて驚いている。「小説家になろう」の方がnoteよりも長編の需要が多くある、というか長編の方がアクセスされる傾向にあるようだ。その証拠に「小説家になろう」の私の他の短編はほぼ読まれていない。しかし、「小説家になろう」の読者層は、本来私が狙っている読者層ではない。私の好きな小説は『ドン・キホーテ』『レ・ミゼラブル』『ノルウェイの森』などである。ライトノベルという物を私は好まない。しかし、マンガ家を目指していたことからもわかるように、マンガ的なものを好む。しかし、オタクのマンガは好まなかった。
小説家としての腕があるとは、どんなメディアに出しても、読者を夢中にする物でなければならないと思う。つまり、noteでも「なろう」でも読まれなければ地力はないと言えるのだ。
文章家と名乗ったところで、それはプロのライターとかを意味しているわけではないが、文章という表現手段で世の中に出たいと思う。もちろん小説家になりたい。私は筋の面白さを大事にしたい。
読者のみなさんには、私は絶対に小説家になるので、売れる前の私の文章を読み続けて欲しい。
繰り返すが、絶対に小説家になってやる。
これからも大橋勇をよろしくお願いします。


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