小説家として世間に評価されたい私は弱い人間なのか?
私は小説家として世間に評価されることを目的に生きてきた。
しかし、世間から評価されたいと思うことは弱いことだろうか?
強い人は、他人の評価を気にせず生きると思う。
自分の欲望を満たせればそれでよく、他人から認められることなどにはまったく興味がない、それが強い生き方なのではないだろうか?
世間の評判を気にせず、やりたい放題で生きる、それが強い生き方だろうか?
しかし、私は小説を書いて世の中に認められたいのである。できれば世界に認められたいのである。そんなことを目標に生きることは弱い人間の生き方だろうか?
しかし、そうは言っても、世の中の大半の人は世間に認められたいと思うのではないだろうか?
八百屋ならば自分の店の野菜が評判良く売れることを気にするのは当たり前だし、ラーメン屋が世間の評判を気にするのも当然である。評判が良い悪いはほとんどの商売で絶対に重要なことなのだ。
「世間の評判を気にしない、俺は俺の書きたい小説を書く」そういう人は誰にも小説を見せる必要はないわけだ。
カフカは自分が死んだら、小説は燃やして欲しいと頼んだらしいが、だったら、なぜ、生前に燃やさなかったのだろう?まあ、カフカのことはわからないのでこの程度にするが、ほとんどの小説家は読まれたいがために書くのである。そして世間の評判を勝ち取りたいのである。それは八百屋もラーメン屋もあらゆる商売の人が欲しい物である。
世間の評価を気にしないことを美徳にしている人間など、世間を知らないとしか言いようがない。
ただ、最近、世間の評価を気にしない生き方も魅力的だと私は思うようになった。それは完璧な人はいないから、すべてにおいて高評価を得る必要はないからだ。商売に関しては評判を気にしても良いが、自分の人生の価値は誰かが決めるのではなく自分で決める、重要なのはそこだと思う。死後の名声よりも、生ききったという満足感が大事だと思う。