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人生は楽しいほうがいい
「人生は楽しいほうがいい」
当たり前じゃないか?と思われるかも知れないが、私は長い間そうは考えてこなかった。
どう考えていたかと言うと、「人生は歴史にどれだけ大きな名を残せるかの勝負だ」と考えていた。
だから、小説家を目指してきた。現在、四十五歳、独身童貞。
童貞、と言うと、女が嫌いなのかと思われるかも知れないが、私はメチャメチャ女好きである。しかし、それ以上に、名誉欲が強く、女をたくさん抱いた男は尊敬されないと思って、そうなると、名声に傷がつくと思って、女を得ようと動かずに来たのである。ただ、暗い部屋で、パソコンに向かい小説を書いて、永遠の名声を夢見る暗い奴だったのだ。
それがなぜ、今回の表題にあるように「人生は楽しいほうがいい」と思うに至ったかと言うと、最近行ってきた、登山がメチャメチャ良かったからである。
と言っても独りで登る単独登山だ。
友達も彼女もいない私にはこれしか趣味はない。三十四歳から始め、現在十二年目になる。
私は介護士で、休日が決まっていない。毎月、休日数は十日と決まっているが、土日休みなどと決まってはいない。その代わり、希望休というのを四日まで取れる。だから、四連休までは好きなときに休める。私は今月、三連休を取って、二泊三日の予定で八ヶ岳に登ってきた。まあ、行ってみて、二泊目の必要は感じなかったため一泊二日となったのだが、その登山は生死を懸けた大冒険だった。その様子は他の記事に書いているから読んで欲しい。その大冒険から帰ってきて、また、来月も山に行く予定だ。たぶん、また八ヶ岳だ。八ヶ岳はひとつの山ではなく、多くの山が連なる山域のことで、一泊二日では回りきれない。
その八ヶ岳から帰ってきてから、仕事も楽しいと思え、もちろん次の登山が楽しみで仕方ない。そんな今だから思うのが、「人生は楽しいほうがいい」という真理だ。
学生時代は、人生は楽しいほうがいいと言うと、じゃあ、セックスしまくるのが一番いいじゃないかなどと思い、倫理観から、いや、それは違うんじゃないか、何か大きな志を遂げた方がいい人生じゃないか、などと、思ったが、セックスは確かに気持ちがいいのだろう。いろんな女を抱き比べるのも乙かも知れない。しかし、それで子供ができたとして、それで満足できるだろうか?今、四十代で思うのは、たしかに若い頃セックスを何人かの女と経験しておくのは良かったかもしれないと思うが、先に述べた名誉欲というのも人にはやはりある。女を抱きまくっていたという過去があるのはあまりプラスにはならないと思う。と言っても私は小学生の頃、スカートめくりなどをやっていて、「このままでは僕はどんな大人になるだろう?」と高学年の頃思い始めて、女とは距離を取るようになったのだ。要は、女遊びをするのが早すぎたのだ。キスも小学四年生で経験していて、その頃から、「真実のキスとは?」などと考えていた。だから、中学生からずっと彼女のいたことがない。ずっと、将来、有名になることだけを考えて生きて来た。プロ野球選手、マンガ家、小説家。
二十代から、小説を中心に人生を考えてきた。しかし、今回、八ヶ岳に登って、帰ってきたとき、この二日間、小説のことをまったく考えていなかったことに思い至った。そんなことは何十年ぶりかのことだ。
登山には色々な要素がある。急峻な崖を登ったり、森の中を歩いたり、山頂から日の出を見たり、テントを張ったり、料理をしたり、それを食べたり、ビールを飲んだり、温泉に入ったり、など、独りでも楽しいことはたくさんある。これが友達とか彼女とか家族とかと一緒ならばまた楽しいだろう。
永遠の名声など存在するのだろうか?
死後の名声?
そんなものに人生を賭ける意味はあるのだろうか?
たしかに小説を書く充実感はある。しかし、それだけでいいのだろうか?私は人生の多くを犠牲にしてつまらないことに賭けてきたのではないだろうか?
人生の楽しさを知らない者に、人を楽しませる小説が書けるだろうか?
私は来月、また八ヶ岳に行く予定だ。今度は、白駒の池という周囲が苔の森で囲まれた池や、「にゅう」という変わった名前の山や、黒百合ヒュッテのテント泊や、天狗岳という山に行ってこようと思う。動画などで見ると、米を炊いて食べる人がいるが、私はやったことがない。米を炊く道具は持ってないので、買って見ようかとも思う。炊き込みごはんなどいいかもしれない。こういうことを考えているだけで生きているのが楽しくなる。
そういえば、今日、スマホで見たら、一ヶ月ほど前に一年四ヶ月かけて書きあげた即興小説をダウンロードしてくれた人がいた。書き上げてからもある程度読まれているのが嬉しい。やはり小説家の夢も捨てない方がいいと思う。ただ、死後の名声のために人生を賭けようというのはやめようと思う。まだ、四十代だ。今頃人生の楽しさに気づいた。あー、よかった。これが八十代で気づいたとしたら、悲劇だものな。結婚もしたいし、子供も欲しいし、マイホームも建てたいし、今はスキルがないからできない雪山登山もいつかしたいし、そのためには、雪道も平気な四駆の車が欲しいし、とりあえず米を炊けるクッカーが欲しい。
そういったものを、以前ならば、「小説家になって金持ちになったら・・・」と、すべて小説家になれたら、という夢想の向こうにあるものとして考えていた。そこがいけなかった。小説家になれたらセレブになって美人と知り合えて彼女にして結婚して、有名人と交遊できて、カネがあるから海外旅行にたくさん行って、外食は高級料理店を梯子して・・・などと、最初に小説家デビューありきで考えていた。
人生は途中が楽しいと思う。
私は小説家の夢は捨てようとは思わない。
ただし、それ前提に人生の設計図を書くのはやめにする。
だいたい、そんな暗い思考の持ち主がセレブになっても、人生はつまらないままだろう。
人生は楽しいほうがいい。