シュレーディンガーの虹②
仮に俺や君が金に困り、その指輪やこのチョーカーを売ったとしよう。質屋でも古着屋でも構わない。ああ、まず先に俺のバイクから売ろう。テレビで見たんだ、思い出を買うつもりでバイクを買うって。
とは言え、バイクの価値はその状態にある。何万キロも走ったエンジンは弱っているし、マフラーだって純正品じゃない。転んで割れたカウルも歪んだペダルもマイナス査定の対象だろう。それは俺にとって「思い出」だが、金銭的な価値に変換されることはない。
その指輪やこのチョーカーだって同じだ。使い込んで細かな傷がつき、摩耗して色褪せ研磨剤で取り戻した輝きも査定には関係が無い。使っていない、新品の方が価値がある。ホワイトデーの直後みたいにね。
結局、誰も知らない他人の記憶や思い出を引き継ぎたくなんか無いし、そこに価値なんて見出さないんだ。
だからその指輪を売るのは最後にしよう。このチョーカーだってあまり売りたくは無いものだ。売らなくて済むように頑張って働くよ。働きたくは無いけど、そう言っていられるのも明日だって明後日だって仕事があるからだ。そんな事はよくわかっているさ。
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