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ビッグイシューな500円玉

 黒いスーツの群れに混ざって歩く足が止まった。後ろを歩いていた男がぶつかり、迷惑そうに睨みつけながら避けて歩き去る。

 立ち止まったのは手の中にある500円玉を気持ち悪いと思った。自動販売機が吐き出した釣り銭。銀色に鈍く光る硬くて薄い円形。この銀色には誰に対しても500円と言う価値があり、その共通認識の元で様々なものを購うことができる。その認識を気持ち悪いと思った。つまりその共通認識から足を踏み外しそうになったと言う事だ。それは社会から排除されると言うことでもあり、人間の姿を失うと言う事でもある。ここにいる存在はまだ辛うじて人間の形を留めているらしい。
 人間が人間として存在していられるのは認識されているからだ。肉体があるからではない。肉体が認識されない限り存在している事にはならない。そしてその認識を繋ぎ止めているのが社会性であり、その社会性を保証するのが金銭だと言える。コミュニケーションは難しい。だが金を得て金を払うのはそう難しい事じゃ無い。それが難しいと言うなら、そいつの存在は危ういか認識されてないって事だ。

 足元から消えかかって薄くなる存在。やがて見えなくなり、道端でビッグイシューを売る様になる。道端のビッグイシュー売りを知っているか?それが認識できるのは限られた人間だと言うが、きっとそうだろう。現にさっきぶつかったサラリーマンはその瞬間まで認識をしていなかったからだ。

 手の中の500円玉をビッグイシューと交換した。

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にじむラ
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