不安の種
コンビニの天井を突き破った不安が空に向かって伸びている。枝も葉も無い不安はまっすぐに空を突き刺す。この不安を登れば月までたどり着けるかも知れない。
今夜は綺麗な三日月だった。細く、美しい。太り肉の三日月は醜い。これ見よがしな円弧が空に張り付く姿は無様だ。だが今夜の三日月は違う。細く、美しい。暗く蒼い背中につけられた爪痕の様だ。お前も見るべきだ。地面を眺めていたって仕方がない。そこには何もないからな。メッセージを送ってスマホをしまう。
酒も飲みたいアイスも喰いたいマリトッツォを噛みながら甘い紅茶も飲みたいが、コンビニスイーツの甘さはどれも結局は同じなのでどうしようもないのだと呟く。コンビニやスーパーで手に入る砂糖の甘さには起伏が無い。均一でまっ平な退屈さだけがある。例えそれがアセスルファムクラロースだって大差はない。
お前からのメッセージが帰ってくる。雲で隠れて月が見えないと言う。地を這う風は低く月を隠す雲までは届かない。レッドブルは風に翼を授けない。六月の花を知らない。缶詰に閉じ込めた季節を開けるタイミングだ。俺は季節を知らない。この街には季節が無い。ビニールハウスが季節を壊してしまった。ついこの間まで苺は12月に食うものだと思っていた。季節の野菜も魚も知らない。お前が教えてくれる事だけが季節だ。
季節の無い場所の代表例がコンビニだ。都会にはコンビニが多い。コンビニの隙間にマンションが建っているようなものだ。コンビニには季節が無い?それは嘘だ。コンビニには何でも売っている、愛だって買える。そんな歌があった。だがそいつはコンビニをろくに使った事が無いヤツのたわ言だ。コンビニは季節に敏感だ。季節ごとに新しい商品が出る。お前が教えてくれる季節とは違う薄っぺらくて表面的な季節だ。そりゃそうだ、コンビニで蕨生を売ったところで買うやつはいない。
コンビニで売っている季節は季節を知らない人間が買う季節じゃない。コンビニで売られる季節は誰もが知っている季節だ。知っている事が重要で、知らないものはコンビニに必要が無い。そんなものは市井の八百屋だとか肉屋が売ればいい。誰もメンチカツの肉が何かなんて気にしない。
既に知っている刺激と言う安心、それを売るのがコンビニやスーパーの役目だ。俺たちはそれを求めている。不安に金は出せない。24/7の安心。不破城の常夜灯は誘我灯だ。自室より安心できる。瞬かないLEDの光こそがその本質だ。吸い寄せられる孤独たち。壺の中。争いは無い。安心と平和。働けど働けど待てど暮らせど変わらない世界でぢっと手を見る。
コンビニで手に入る刺激はどれも想像の域を出ない。記憶の引き出しにある何かに似ている。それは安心であり平和であると言う事だ。それに疲れている人たちは冒険をしたがらない。ナルニア国への入り口にも気付かない。いや、知っていても眠るのだ。お前がいないベッドは広い。夢は記憶だが冒険だ。それで十分だ。
俺は真夜中のコンビニに入る。店員はバックヤードにいる。酒や煙草を買う以外に店員が奥から出てくる事は無い。最近のコンビニは自分で会計も袋詰めも済ませるシステムだ。誰もいないコンビニはダークマターで満たされている。LEDが光る。空調が手書きのポップを揺らす。週刊誌のグラビアアイドルがほほ笑む。虚無だ。俺に微笑んでいる訳じゃない。合わせた視線は途切れる事がない。空虚な愛想。お前の顔に置き換える。嘘だ。三日月も見えない夜にお前が笑うはずもない。
俺はコンビニの隅に不安の種を植える。誰にも気づかれないように孤独を少し分けてやる。コンビニの中で大きくなれよと呟く。空調が冷たい。LEDの光すら冷たい。コンビニは孤独だ。だが孤独なら誰もが知ってる。
コンビニを出た俺は部屋に戻る。道を挟んで向かいに立つ古びたマンションの四階。窓を開ける。風はまだ地を低く這っている。何も膨らまない。月を隠す雲までは届かないだろう。今夜お前は月を見る事が無い。コンビニのドアが開く。真夜中の孤独が入っていく。不安の種が芽吹く。真夜中の孤独が出ていく。不安が大きく育つ。コンビニのドアが開く。別の孤独が入って行く。不安が大きく育つ。風が地を這う。不安が大きく育つ。月は隠れている。お前からのメッセージは無い。
不安はコンビニの天井を突き破り空に向かって伸びている。枝も葉も無い不安はまっすぐに空を突き刺す。この不安を登れば月までたどり着けるかも知れない。風を連れていけば雲は遠くに行くだろうか。三日月をお前に見せる事が出来るだろうか。それともすでにお前は眠っているだろうか。不安が育ち続ける。
背中の爪痕が痛む。もう俺からも三日月が見えない。
不安はまっすぐに伸び続ける。