見出し画像

1980年代を発明した男、トレヴァー・ホーンとは何者だったの?

Trevor Horn(b.1949-)は、作編曲家、歌手、ベーシスト、そして音楽プロデューサーである。代表的な仕事は来るべきMTVの時代を予見した、1979年のThe Bugglesの「Video Killed the Radio Star(ラジオ・スターの悲劇)」、そしてArt of Noise。短期間ながらYesへの参加。かれのプロデュース・ワークとしては、Grace Jonesの、Slave to the Rhythm。ABCのThe Lexicon of Love 。Malcom MclarenのDuck Rock などが挙げられます。トレヴァー・ホーンが1980年代を発明した男と呼ばれるのもあながちまちがっていません。



1979年、The Bugglesの「Video Killed the Radio Star(ラジオ・スターの悲劇)」の大ヒットによって、その存在を世界中に知らしめた。人によっては、ポストパンクの最盛期にこんな軟弱なポップ・ソングを売り込んだ度し難い商業主義者という意見もあるでしょう。なるほどそれもまたもっともな意見ながら、しかし、この曲にはロック・オペラ的なドラマがあり、たのしく新しい構成主義があって、これからなにかが起こるだろう、とリスナーを期待させた。




その後Trevor Hornは、あろうことか、ジョン・アンダーソンが追い出された後のYesに加入し、アルバム Drama(1980)に参加しヴォーカルもとった。ただし、(UK Wikipediaによると)Yes ファンからは「なんだあのだらしのないデブは」と不評を買った。


トレヴァー・ホーンはジャーナリストのPaul Morley とともにZTTレコードを共同設立した。そこで1983年かれはかれ自身のユニット Art of Noise をリリースした。



Art of Noise には西洋的な知性に裏づけられたPOPな暴力性があって、楽音に対してノイズを、意味(センス)に対してナンセンスを、ひとつの視点に対してカットアップとコラージュ~モンタージュをぶつけ、都市の錯乱する現実を脱音楽で表現した。なお、それにあたってかれらは当時斬新だったフェアライトでサンプリングを使いまくって新しさを演出した。かれらはひとつの時代を鮮烈に象徴しています。



トレヴァー・ホーンのプロデュース・ワークを見てゆきましょう。



ABCのPoison Arrow(1982)



同じくABCのThe Lexicon of Love (1982)




ホーンはセックス・ピストルズの元マネージャー、Malcom Mclaren のDuck Rock (1983)をプロデュースした。Buffalo Gals はヒットした。


Frankie Goes to Hollywoodがまた一世を風靡した。「リラックス」はUKシングルチャートで1位になった。


Grace Jones の、Slave to the Rhythm(1985)がまた大ヒットした。




余談ながら、坂本龍一さんがまたArt of Noiseに大大大感動しちゃって『未来派野郎』(1986)なんてアルバムを作ってしまう。ビート感は16ビートに刷新されているし、カネはやたらとかかっているし、ミュージシャンのレヴェルは高いし、サウンドは当時のニューヨークっぽいし、吉田美奈子さんによるコーラスの活かし方(彼女の音楽の血となり肉となっているfunk とはあえて無縁な領域での、「日本の宝」とも言うべき彼女の声の活かし方)はサイコーにすばらしくさすが坂本さんであり、都市的な意味で先端的でかっこいい。見方によっては、たとえばアルバム1曲目だけ見れば、もしかしたらArt of Noise を凌駕さえしているかもしれない。




しかし、アルバム全曲をとおして聴いて、内心ぼくはおもったものだ、「辞めときゃよかったのに」。だって、坂本さんはせっかくArt Of Noiseの脱音楽フォームを使うアイディアで出発していながらも、大胆にノイズを導入しながらも、最終的には(どこかブラームスとラヴェルのエコーを感じる)「美しく甘美で感傷的な音楽」に構成してしまう。オペラへの郷愁さえ感じられる曲もある。Art Of Noise はどこへ行った!?? 後年坂本さんご自身もむしろ『エスペラント』(1985)みたいなことをもっとやっとくべきだった、なんて述懐しておられたもの。しかし、逆に言えば、あの坂本さんさえもを魅了してしまうほど、1980年代の音楽シーンはトレヴァー・ホーンの影響下にあったのだ。



もっとも、そこだけ言うのは公平ではなく、たとえば坂本さんにとって翌1987年はベルトルッチ監督の映画『ラスト・エンペラー』の年であって、坂本さんは支那の宮廷音楽のフォームを自家薬籠中にして華麗な音楽を捧げています。この身の翻し方が、緻密な分析と優れた耳によってどんな種類の音楽でも作れてしまう坂本さんらしさではある。けれどもぼくは夢想する、あの時期坂本さんが『未来派野郎』ではなく行うべきだったのは、東アジア伝統音楽のポップな脱構築ではなかったかしらん。いまこの文章を書きながらぼくはフィリップ・ソレルスの、支那文明への惑溺を軸にした、西洋中心主義の脱構築をおもいだす。(安部静子著『ソレルスの中国』水声社2022年を、いまぼくは読んでいる。)




thanks to 湘南の宇宙さん


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?