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幸福を生み出す穴ぼこ。(ジャズ・マン、明田川荘之さんの追善ライヴは、年末年始ぶっ通しの大盛り上がり大会だった。)

あるひとりの誰かが死ぬ。そのときかれを愛した人たち、かれと関係した人たちの心に、穴が生れる。失われたものに涙することも、あのときああすればこうすればよかったと煩悶することも、はたまた危うく虚無に吸い込まれそうになることもあるでしょう。しかし、その穴から幸福な記憶がとめどなくおもいだされ、またさまざまな音楽がいつまでも鳴りやまず、聴こえてくることもある。



2024年12月31日、ボロく愛すべき、そして半世紀にわたってジャズファンに愛され続けている東京・西荻窪アケタの店で、明田川荘之さんの追善ライヴが行われた。ミュージシャンは豪華絢爛、なんと20時からはじまったライヴプログラムは予定を越えて1月1日夜明け前、4時35分まで続いた。



ライヴの詳細に先だってまず触れておきたいことは、2024年、ジャズファンはいっぱい悲しんだ。1月には歌手のマリーナ・ショウが81歳でなくなった、Everyday is like a party という歌がぼくは大好きだ。5月にはデイヴィッド・サンボーンが71歳で亡くなった。かれは80年代ニューヨーク派のお洒落ジャズを代表していた。 9月にはセルジオ・メンデスが83歳で、サンバのような人生に幕を下ろした。11月にはいかにもグラミー賞が似合う天才編曲家のクインシー・ジョーンズが91歳で亡くなった。その2週間後、わがニッポンのジャズ界が誇る明田川荘之さんが16日、74歳、食道癌で亡くなった。前述の他のミュージシャンたちの死も哀しいけれど、しょせんはアメリカの話であり他人事である。しかし、日本在住のジャズ・ファンにとって、明田川さんの死はまったく重さが違う。したがって追善ライヴが盛り上がったのも当然でしょう。



いやぁ、すごかった!!! 明田川荘之さん追善ライヴ@アケタの店は、想像以上に贅沢なライヴで、明田川さんのお嬢さんでヴォーカリストの明田川歩さんが喪主として、ライヴ全体をコーディネートしてらした。黒く輝くDiapasonのグランドピアノの脇には、明田川さんの遺影と、白い袋に入った骨壺が置かれ、戒名の「空浄光彰音信士霊位」が書かれた札が置かれています。狭いアケタの店の客席は満杯で、誰がミュージシャンだか、誰が純粋お客なのかまったくわからない賑わいです。



ライヴは、明田川歩さんの挨拶ではじまり、彼女のヴォーカルで明田川さんの「テツ」(「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」を挟み)「アルプ」「オーヨ・タケザワ」などを、演奏は、加藤祟之(g)、この人のギターがまた往年の乱暴者時代のビル・フリゼールからデレク・ベイリーに通じるようなプレイが凄い。守屋美由貴(as)さんは、音もフレーズも明快で、心の綺麗さが音楽に現れている。小太刀のばらさん(p)は、端正な演奏に、ジャズ愛と育ちの良さが伺える。本田珠也さん(ds)はテクニシャンで、手数が多く音が大きく演奏が派手。バリトン・サックスの吉田隆一さんのプレイがまたマッチョで暴れん坊。後半では、ヴォーカリストのLUNAさんも入って、また、明田川歩さんともうひとりのオカリナ奏者の女性も入って、華やかに展開されました。



その後、演奏者が少しづつ入れ替わり、ピアニストの清水くるみさん(渋谷毅さんの奥様)になったり、(彼女の演奏がまた凄い迫力で、ちょっとシャーマン的な凄みがある。)はたまたピアニストがフリー・ジャズの重鎮・原田依幸さんになったり、はたまたぼくが敬愛する石田幹雄さんになったりします。



ふたたび明田川歩さんとLUNAさんがヴォーカルをとって、明田川荘之さんのナンバー、「ヘルニア・ブルース」、これがまた楽しい。そんなこんなで時計が11時半をまわった頃、いったん休憩を挟み、アケタの店の音楽クオリティを支えるひそかな屋台骨、島田正明さんが工具を用いてピアノの調律を入念にはじめます。他方、お客のなかには終電を気にする人も少なくないものの、しかしそんなことはおかまいなし。ここにもまたアケタの店の鉄壁のプロ根性があります。なにせ、次の登場はピアニスト渋谷毅御大なのですから。



さて、いかにも真打登場、渋谷毅さんのピアノソロがはじまって、有名な「もういくつ寝るとお正月」の歌をフランス風の甘美な和音で演奏し、渋谷さんの展開部を添え、そのままジャズのスタンダードナンバーに続け、そして「もういくつ寝るとお正月」のテーマに戻る。演奏が終われば2025年に突入しています。そこで渋谷さんは「年のはじめのためしとて」を、同様にフランスふうの優美な和音で演奏。その後、ベーシストの山崎弘一さんを加え、「old folks」ともう一曲。おそらくここまでがおそらくこの夜の予定されていたプログラムだったでしょう。



ところがこの夜は、凄腕のミュージシャンたちがいっぱい。その後もミュージシャン同士が盛りあがりは収まらず、セッション大会がはじます。


石田幹雄さんのピアノとと 本田珠也さんのドラムスの共演は、フリージャズの火花が散る演奏で、スリリングきわまりありません。


守谷美由貴さんともうひとりのサックス、すなわちツインサックスの5人組演奏もすばらしかった。


石田幹雄トリオのBut Not For Me そのほかのスタンダードナンバーも素敵だった。ライヴがお開きになったのは夜明け前の4時35分だった。ぼくは、この僥倖のライヴにただただ感謝した。明田川荘之さんがどれだけ深く広くミュージシャンたちリスナーたちに愛されていたかがよくわかる。なお、客席には本郷・壱岐坂ボン・クラージュのオウナーさんもいらしていて、陽気な野次と歓声を飛ばしてらして、客席にこの人がいるだけで、場の空気が温まる。


ぼくはジャズ・ファン歴は一応長いものの、ただしぼくの聴くジャズには偏りが大きく、明田川荘之さんファンとしてもひよっこである。またぼくのアケタ常連歴も浅く、したがってほんらいこの明田川荘之追善ライヴレヴューの適任者はぼくではないのだけれど、しかしながら、このライヴは日本ジャズ史に残る大事なイヴェント、できる限り正確に記録されるべきものながら、せめてその叩き台になるべく、ぼくはこの文章を(不完全ながら)書きました。ぼく程度のリスナーにさえも、明田川さんは大きな影響を与えたのだ、と肯定的に受け取ってくださいますように。



なお、アケタの店は、マネージャー兼レコーディングエンジニアの島田正明さんの尽力によって今後も健在です。ジャズファンでアケタの店を訪れたことがない人は、一度アケタの店の扉を開いてみてはいかがですか? お洒落っぽさはゼロだけれど、しかしながらジャズの魅力を存分に吸い込むことができるでしょう。もしかしたらそこに(いくらか怪しげな客の?)ぼくもいるかもしれません。





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