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三島由紀夫が心を許せるのは才能と美貌を併せ持った女たちだけだった。しかし、そんな彼女たちであってなお、三島の空虚を埋めることはできなかった。

『彼女たちの三島由紀夫』(中央公論社刊 2020年)は重要なムックで、三島は岸田今日子、高峰秀子、石井好子、越路吹雪、芳村真理らとくつろいで、おたがいいかにも愉快に会話を楽しんでいる。彼女たちもまた三島を新進気鋭の作家先生扱いなどしなくって、まるで同級生のしたしい男の子みたいに接し、それがまた三島をよろこばせる。



三島は相手が男だと敵愾心をむきだしにする癖に、しかし相手が美しい才女だととたんにくつろいで、いかにも純情可憐だ。なるほど、こういうゲイはいるもの。たとえば、トルゥーマン・カポーティがそうだった。カポーティにはゲイの愛人がいたものの、しかしカポーティの友達は女たちしかいなかった。



また、三島は絵に描いたような紳士で、礼節を重んじる。くつろいだ口調であっても愛する女性たちへの尊敬を忘れず、また彼女たちとの約束を守り、かつまたことあるごとに彼女たちへの心のこもった贈り物を欠かさない。なお、三島は自決の数日まえに丸山明宏(現・美輪明宏)が出演中だった日劇の楽屋に薔薇の花を三百本だか贈っている。これが三島の丸山への最期の挨拶だった。本稿においては、丸山もまた三島にとっての〈女〉のカテゴリーに入れてさしつかえないでしょう。



もちろん三島は、家族への心尽くしも忘れない。自決後も、両親に映画の無料チケットが贈られるようにあらかじめ手配もすれば、自決後のクリスマスにコドモたちにプレゼントが届くようにも計らった。いかにも三島は紳士である。



ざっとこのように三島は完璧な紳士を演じて生きた。なかなかできることではない。きっと三島はなにごとにおいても規範に従属することではじめて安心できたでしょう。拡大すれば、天皇制も、大和魂も、軍隊も、規範である。逆に言えば、三島は嫌いだった、ビートニクの末裔たるヒッピーたちの、自由気ままなファッションを。なぜなら、そこには守るべき規範が存在しないから。いかにも三島らしい美意識だとはおもう。




ならば、三島が愛する才女たちもまた、三島好みの才女のかたち(規範)を演じてくれるがゆえ、三島は彼女たちを愛するでしょう。逆に言えば、もしも彼女たちが彼女たちが演じる三島好みのかたちを捨てれば、きっとたちまち三島は彼女たちに愛想を尽かすでしょう。なお、三島のそんなゲンキンな心の動きを、ぼくもまたけっしてわからないではないけれど。



しかも、三島はまず祖母に、続いて母に庇護を受け、三島が二十歳のとき17歳で早世した妹を溺愛して育った。三島はほんらい女性を身近に感じ女性にしたしみを持っている。ところが三島のなかには愛と性の分離があって、三島が24歳で『仮面の告白』を書いた時点でまだ三島は童貞であり、同性愛体験ですらもなかった疑いがある。



同時に、三島が愛した才女たちは三島に好意を寄せたものの、しかし、けっして才能と美貌を併せ持つ彼女たちであってなお、三島の空虚を愛で埋めることはできなかった。そのくらい三島の空虚は根が深かった。











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