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Fela Kutiの血。ーアフロビートで世界中が踊る。

2000年以降音楽といえばEDM、Hip Hop、Houseばかりが耳に飛び込んでくるけれど。しかし注意深く耳を澄ませば他にもさまざまな音楽が聴こえてきます。アフロビートもそのひとつ。アフロビートとはアメリカのブラックミュージックとアフリカの音楽を融合させる試みとしてはじまったもの。おもえばアフロビートは過去五十年間周期的に話題になってきた。


そりゃそうでしょ、だってアフロアメリカンならば誰だって自分たちの遠い故郷であるところのアフリカへの関心が生まれるでしょう。同様にパリやロンドンのアフリカ移民二世三世もまた。はたまた白人ミュージシャンたちは白人音楽の遺産を使い尽くした結果、エキゾティックな音楽としてアフリカを「発見」して、想像力の熱源にしようとおもいたったりする。(シュルレアリスムの頃からかれらはそんなことをやっていました。)


他方、1960年、ナイジェリアはイギリスから独立し、ナイジェリア文化を定義し自覚し誇りを持つ必要がある時期でもありました。

( Various Artists: "Highlife On The Move: Selected Nigerian & Ghanaian Recording from London & Lagos 1954-66)

この時期Fela Kuti(1938-1998)はアフロアメリカンたちが掲げていたアフロセントリック(アフリカ中心主義)と共闘する意識をもって、独自のナイジェリア音楽を創造していった。かれはナイジェリアのサキソフォニスト。バンドリーダー。アフロビートのパニオニアです。

アフリカ的エイト・ビートと、ジャズなブラスセクションを従えて、サキソフォンがジャジーなソロを吹きまくっています。ひそかにエレクトリック・ベースがどくとくに変な個性を発揮しています。



続いてこちらはアフリカの律儀なビートの上で、エレクトリック・ベースがフュージョンふうにビートを刻み、その上でサキソフォンがジャジーなフレイズを吹きまくって、後半のヴォーカルとコーラス、ブラスセクションの掛け合いもいい感じですね。


お次も楽しい。まさにアフリカンジャズがクールにできあがっています。

こうしてアフロビートムーヴメントは動きはじめます。


他方、1979年、おもいがけない方向からとんでもなく予想外のぶっ飛んだアルバムが現れた。ニューヨークベースのポストパンクバンド Talking Heads のアルバム”Remain in Light”ですよ。

このアルバムのきっかけはバンドメンバーがハイチでヴードゥー教を体験したことがきっかけに発案され、Fela kuti が作りあげたアフロビートをテンプレートにして、プロデューサーのBrian Enoとともにバハマのスタジオで作られた。


その後1980年代、ナイジェリアのKing Sunny Adeも西側世界で流行ったもの。ナイジェリアは石油も出ますからアフリカのなかでは相対的にはゆたかな国なんですね。近年ではこの人がビッグスターだそうな。Wizkid(b,1990-) ナイジェリアのシンガーソングライターです。


ついでながら高田馬場で路上でバーの客引きをしているナイジェリア男がぼくに教えてくれたかれの好きなナイジェリアのアフロビートは、Davido そしてRema そしてKiss Danielだった。


そのうえいまやアフロビートは南米のチリでも盛り上がっているようですよ。

Newen Afrobeat は2009年、南米のチリで結成されたそうな。

なおゲスト参加している、Seun Kuti はナイジェリアの男性歌手で、Fela Kuti の息子。Cheick Tidiane Seck はマリの作編曲家でアフロビート界のドンです。やっぱアフロビートを愛する人たちにとってFela Kuti は神なんですね。


こちらはキューバの女性DJCami Layé Okún さんで、彼女はアフロビートとキューバ音楽を融合させておられます。

Afro Cuban Funky Grooves with Cami Layé Okún


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