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「プロ彼女」と蛸壺社会。

プロ彼女という造語を耳にしたときぼくは笑ってしまった。彼女たちの出現には社会的必然性があるから。だって、多数派の男たちがどういう女を好むか? そこにはあきらかに傾向がある。ならば男を落とす対策マニュアルが生まれるのもとうぜんでしょう。もっとも多くの女たちはおもう、女のあのていどの策略にまんまとひっかかっちゃって男ってばっかじゃないの。しかし、ある種の野心的な女たちは決意する、「じゃああたしも男好みの女を演じて、芸能人や有名スポーツ選手の彼女になって、恋愛市場の勝ち組になってやろうじゃないの。」「プロ彼女」は欲望に忠実でしかも戦略マニュアルを持ち高いスキルを装備した恋愛戦士です。


そもそも社会は(法的にはともあれ)不平等にできています。人はみなこの不平等社会で生きなくてはならない。とうぜん劣位カーストに置かれた者は脱出するための裏技を探し、戦略を身につける。喩えるならば囚人が脱獄のスキルを磨くようなもの。たとえばわれわれが暮らしているのは学歴差別社会ゆえ予備校が生まれ、ときには偏差値30の人間さえも有名大学を目指し稀には合格できてしまう。同様に男たちがブスに見向きもせず、かわいい女にはたちまちめろめろになるゆえ、女たちはかわいい声、仕草、リアクションを研究し、化粧テクニックを磨き、髪型に工夫を重ね、脱毛し、ときには美容整形に手を伸ばす。男の子たちだって恋愛市場の負け組になりたくない。そこで男の子たちはファッションマニュアルを熟読し、細眉を作り、鼻毛を綺麗に刈りとり、かわいい髪型にして、ほどほどに筋トレをする。他方、そんなめんどくさいことはしたくない男の子たちは、秋葉原へ行って美少女枕抱き枕を買い求め嫁にする。かれらもまたリアリストではあって、生身の女とつきあうことがハイリスク‐ロウリターンであるとかれらは認識しています。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完 描き下ろしプレミアム抱き枕カバー いろは 先生ver.


おもえば昭和の銀座のホステスさんは日経新聞の夕刊を読んでから出勤したそうな。なるほど彼女たちの顧客はビジネスマンたちゆえ、かれらがどんな話題に関心を持っているかを知って、かれらをよろこばせる相槌くらい打てなくては商売にならない。いかにも高度成長期らしいこと。そして「プロ彼女」はその発展形と言えるでしょう。


さて、ぼくはこういう現象からどんなことを学ぶかと言えばーー。ひとつには多数派の男たちの保守性と自己中心性です。そもそも男にとって女は自分と異質な存在であることはあきらかだ。しかしその異質性に惹かれる男は少ない。ナンとバターチキンカレーは好きでも、しかし本格インド料理は苦手な人たちのようなもの。餃子の王将は大好きでも、しかし中国各地の現地料理いわゆる「ガチ中華」には「ごめん、勘弁」な人たちのようなもの。社会の主流派はそんな人たちでできています。良くも悪くもかれらには自分の世界がは強固にあって、ここから先には行きませんという境界線がしっかりある。


次に、めでたく男が「プロ彼女」と結婚したとして、いつまでもえんえん彼女が「プロ彼女」を演じ続けてくれるかどうかはまったく保障の限りではありません。そもそも「プロ彼女」に保証書はついていない。ある日なにかのきっかけで彼女がその役割演技をやめ、沸き立つ憤怒を爆発させるような瞬間がないわけがない。これは男にとってちょっとしたホラーです。そのとき男は茫然となって自我崩壊するでしょう。


なお、ぼく自身はなんであれ自分とは異質な対象に興味を持つ。したがって必ずしも「プロ彼女」のような存在にひっかからないとは限らないけれど、ただしきっとすぐに飽きるでしょう。(もっとも、ぼくに恋愛市場価値が高いとはおもえないゆえ、それはまったくの杞憂というもの。)また、今後AI搭載ロボットしずかちゃんも登場するでしょう。そうなると「プロ彼女」の敗北は目に見えています。


実はぼくがもっとも興味深いことは、いまは世の中全体が再生回数だの視聴率だのを競い合い、そのうえAIによるあなたにお勧めのコンテンツのような誘導にあふれかえっていて。おのずとぼくらはみんな自分の好きなものだらけの蛸壺に落ち、好きなコンテンツに囲まれて身動きがとれなくなっていて。はたしてこれは幸福なことだろうか? いいえ、もしもこれを不幸と認識できる人が一定数まで増えたなら、誰かが蛸壺脱出マニュアルをこしらえて、それが重宝がられるのでしょうが。


Eat for health, performance and esthetic
http://tabelog.com/rvwr/000436613/

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