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どうしてインテリ男にほんとのグルメは少ないの?

その理由はインテリ男が言葉の世界に生きているゆえ、言葉によって五感がマスクされ、結果、料理を食べるのではなく、情報を食べるようになってしまう人が多いからですよ。では、なぜかれらはそんなふうになってしまうでしょう? おそらくポイントはまず、3歳まで、次に言葉を覚えはじめる時期にあるのではないかしら。


動物にとって生きるためにもっとも必要な能力は体が動くこと、そして五感が働くことです。赤ちゃんはやがてハイハイをするようになり、二足歩行を覚え、飛んだり跳ねたりしながら、この世界を理解してゆく。遠くのものは小さく見え、近づいてくると大きく見える。クルマのエンジン音がだんだん大きくなることを聞けば、おのずとクルマが近づいていること知るようになる。身を護るために大事な能力です。つまり、赤ちゃんから幼児になる時期にヒトは五感を育ててゆく。(なお、聴覚と知力には深い関係があって、たとえば高齢になって聴覚が衰えるとアルツハイマーになりやすいというような研究結果もあります。)同時に幼児はものを触り、匂いを嗅ぎ、いろんなものを食べて味覚を育ててゆく。(食育はおもいのほか重要です、なぜなら味覚もまたこの世界を認知する5つのセンサーのうちのひとつですから。)まずこの段階があって。



次に幼児は言葉を覚えてゆく。言葉はあるていど使えないことには生きてゆけないし、また便利なものではあって、そのうえ遊び道具としてもカネがかからない。しかし、小学校高学年になり中学生になるあたりで言葉を自由に使えるようになると、それと引き替えにだんだん五感を使わなくなってゆく人もまた多い。ここが大問題。たとえばスミレという言葉を覚えてしまえば、もはや「あ、スミレだ」とおもうだけで、もはや花びらの形や重なり、配色を観察しません。同様に、鮭という言葉を覚えた結果、お、きょうのこの鮭めちゃめちゃうめえな、と感動できる能力を失ってしまう人もまた多い。なぜなら、いったん言葉人間になってしまえば、どんな鮭であろうが鮭は鮭だからですよ。いったん言葉人間になってしまうと、なかなかグルメにはなれません。ぼくの経験則によると、グルメは男よりも女に多い。女の方が五感を使って生きている人が多いからでしょう。またグルメは音楽系、デサイン~アート系の人に多い。かれらは仕事上、五感を使って生きているからでしょう。



現代社会ではあきらかに言葉人間が多数派です。言葉人間もまた食に関心を持つ。レストラン側もこのことをわかっていて、そこで対策として、まずメニューの書き方に工夫を凝らす。たとえば、「カナダ産・オマール海老と江戸小松菜のグラチネ、エストラゴンの香り」とか、「北海道産・蝦夷鹿肉のロティ、フランス産グロゼイユとポルト酒のソース」みたいな書き方をする。フランス料理好きにしかまったく意味のわからない書き方ながら、ただし産地表示をすることで「うちは食材にこだわっています」と演出できる。もっとも、いくら舌の良い客とてさすがに小松菜の産地まで当てられる人はいないので、いささかやりすぎではあって。ただし、これは言葉人間の興味を引くための話題提供(ネタ振り)であって、言葉人間が多数派になってしまった以上、仕方のないことです。なぜなら、言葉人間はなにかのトピックがない料理にはなかなか関心を持ってくれません。しかし、もしもこういう流儀を徹底して料理名を書くならば、たとえばこういうことになる。「愛知県一色ウナギのグリル、ウナギのジュとジャパニーズ・サケ・ソーテルヌ"ミリン"とソイソースを半量まで煮詰めた黒く甘いソース、サンショパウダーの清楚な香り、ブレゼした暖かいライスサラダ(魚沼産コシヒカリ)添え。」なんだなんだなんだ、そのわけのわからない料理は? あ、あああ、ウナ重じゃないかッ! レストラン 対 言葉人間の客の、いたちごっこがここにあります。


ウナ重はウナ重でいいじゃないか! いいえ、そんなのんきなことを言っていてはまったく商売にならない時代がとっくに本格化しています。


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