デムナ・ヴァザリアはバレンシアガ就任後、数年間だけめちゃめちゃおもしろかった。
共産圏育ちの人にはどくとくのふんいきがある。質素、素朴、質実、そしてそんなかれらにとってのおしゃれは、西側諸国のおしゃれとはどこか違う。たとえば、いまさらながらぼくは、元ドイツ首相のアンゲラ・メルケルさんに興味を持って、彼女についての本をあれこれ読んでいて。メルケルさんの顔立ちは『ムーミン』のミーをおもわせもすれば、髪型もコドモの頃からいまに至るまで一貫しておかっぱで、彼女の服の着こなしも共産圏っぽい。
バレンシアガのデザイナー、デムナ・ヴァザリア Demna Gvasalia もジョージア(=グルジア)出身で、おかあさんはロシア人です。デムナ・ヴァザリアが育った頃ジョージアはソヴィエト連邦の一部でした。かれは経済学を学んだ後、21世紀になってからアントワープ王立芸術学院で服飾を学んでいます。その後メゾン・マルジェラのウィメンズのデザイナーを務め、ルイ・ヴィトンのウィメンズに抜擢され、2014年自身のブランド、ヴェトモンを設立。2015年Balenciaga のダイレクターに就任。2016年のAWから作品を発表し続けています。
ぼくが印象に残っているのは2017年から2019年あたりまでで、あの時期のバレンシアガは、まさに共産圏で暮らす老いも若きも普通の人の質素で平凡な着こなしを、シルエットその他をちょっぴりデフォルメして、奇抜な色使いで、意表を突いた大胆な服をこしらえていた。デムナ・ヴァザリアは西側社会のファッションを熟知した後に、あえて東側の着こなしをあざやかに脱構築したのだった。ぼくは大喜びしたものだ、なんだ、こりゃ!?? 何事が起こっているの???
しかも、デムナ・ヴァザリアはショウのモデルも街場で調達したもので、2018年では日本では東京都高円寺でスカウト活動が行われた。スカウト担当者はモヒカンとドレッドとおかっぱの外国人だったそうな。デムナはモデル・ウォーキングなどには一切関心がなく、かれの美意識に合うふつうの人(?)がその人らしくただランウェイをどたどた歩いてくれればそれで十分なのだった。考え方が一貫しています。あの時期、かれのファッションは他の誰にもない発想で輝いていた。
そんなかれの戦略は大当たりして、デムナはあっというまに一世を風靡するスター・デザイナーになった。しかし、ファッション・デザイナーの仕事はビッグ・ビジネスであり、あっというまにかれはヒップ・ホップ・ジェネレーションの神になって、かれのデザインはまったく別のフェイズに移った。いまのバレンシアガにぼくはなんの関心もないけれど、しかしかつてデムナ・ヴァザリアはぼくに東側社会への関心を呼び起こしてくれた。