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石田幹雄(p)さんの右手空手チョップ奏法。そして山田丈造(tp)さんのメロディの人間味あふれる懐深い雄大さ。

ぼくにとって石田幹雄さんは、いかにも〈作曲家の演奏〉をするピアニストであり、自作はもちろんのこと、ビリー・ストレイホーン、セロニアス・モンク、エリック・ドルフィーなどのスタンダードナンバーであっても、石田さんによるそれぞれの楽曲の構造が明快な演奏をなさる。また、石田さんのピアノソロがまたアドリブでありながら即興作曲的で、よくもあんなに息の長いメロディを集中力高く緻密に構成できるもの。



ゆうべぼくはいつもの女友達と石田幹雄さんと山田丈造さんのデュオを(世にもボロいが愛と感謝を捧げずにはいられない)西荻窪、アケタの店へ聴きに行った。(ぼくは5回目、彼女ははじめて。)石田さんと山田さんは北海道で出会っていて、長年の音楽仲間ゆえ、おいたがいのことを熟知していて、石田さんの緻密な楽曲をらくらくと華麗に演奏する。なお、ピアノとトランペットのデュオは難しいもので、もしも凡庸なミュージシャンならば、ピアノ演奏におけるジャズ特有のシンコペーションによって、ついついテンポが崩れがちになりかねない。しかし、おふたりは超一流ゆえ、それぞれ自分のなかに確固たるテンポがあるゆえ、演奏は揺るぎなく、先へ先へ音楽を切り拓き未知の時空へとスリリングに進んでゆく。



また、石田さんの曲を石田さんのソロで聴くのと、山田さんのトランペットとのデュオでは趣きが大きく違う。石田さんのソロで聴くと、その世界は緻密にして構成的で、幻想の建築のような趣がある。それに対して、同じ曲を山田さんとのデュオで聴けば、山田さんがトランペットでメロディを演奏することによって、情感あふれる雄大な世界が広がる。これぞまさに北海道の grandeur だッ、なーんて陳腐な感想を持ちそうになるけれど、しかしながら北海道育ちのトランペッターが誰もがみんな山田さんのようにすばらしい演奏ができるはずがない。山田さんがバラードを吹くときのカップミュートをつけることによって生まれるかすれた音色によるメロディがまた泣かせる。余談ながら、トランペットは(サキソフォンと比較して)不思議な楽器で、たった3つのバルブの押さえ方で音程を変え、マウスピース選びと、唇使いで音色を変える。もしかしたら、トランペットはもっとも人の声に近い楽器かもしれない。感情表現がとてもゆたかだ、(巧い人の演奏に限って言えば。)



また、石田さんのアドリブは、とくにフリーキーに盛りあがるとき、石田さんの右手はまるで空手チョップのように縦の構えで、鍵盤の上を激しく叩いてまわる。これがまた凄いんだ。(まるで熟練の料理人が俊敏な包丁使いでマグロや牛肉をチョップしてゆくかのようだ。)なるほど、石田さんは楽曲の構造を熟知した上で、構造をどこまで壊せるか挑戦しながら、錯乱し乱舞する音たちのなかですでに破壊されたはずの楽曲の構造が不可視の時空に幻影のように立ち現れてくる。なお、石田さんの右手はピアノに乱暴狼藉を働いているかに見えながら、ただし、石田さんは鍵盤の上にその楽曲のモードがはっきり見えておられる。(後でご本人にお訊ねしたら、いや、見えてないときもありますけどね、とはにかんでおっしゃった。なお、石田さんの右手の右側面にはちいさなマメができていた。)




ライヴに足しげく通い、聴き込んでゆくと、だんだんと楽曲を覚えてゆくもので、同じ楽曲でもソロ、デュオ、クァルテットによって違った世界が見えてくることに興奮もする。ファン冥利に尽きます。なお、女友達はかれらの演奏を聴いたのははじめてのことながら、おふたりの演奏に感動していた。ぼくにとってこれもまたありがたいことである。愛する人とともに同じ対象を愛せることはかけがえがない。




石田幹雄さん(p)と
山田丈造さん(tp)。




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