見出し画像

なぜ、ある種のインド人たちは日本にガンディーの彫像を建てたがるのか?

いま世界は激しく右傾化しています。ぼくの愛する異国、インド、あなたももまた。なお、これと並行して、大英帝国の狡猾さについても論じてゆきましょう。さらには多文化共生というお花畑なファンタジーとそれと裏腹な現実についてもまた。



去る2024年3月、長崎市はインドから寄贈されたガンディー像を観光名所の眼鏡橋に建てる予定だった。ところが住民たちは、びっくり仰天。「なして長崎にガンディー像ば建てるとね!?? いっちょんわけわからんばい! おっとろし!」この声を受けて、鈴木史朗市長は候補地を変更し、いまは長崎原爆資料館に近い平野町にそれを建てるべく市民と折衝をおこなっておられるそうな。おそらく鈴木市長はこの問題の意味をまったくわかっておられないでしょう。少年時代のネルーは日露戦争に日本が勝利したことに大いに勇気づけられたもの。しかし、そんな日本もいまやこのていたらくです。長崎が世界に発信すべきメッセージはもっと他にあるはずだ。鈴木市長はそれがどういうものか、たとえば中学生時代にお好きだったU2でも聴き直し、ちゃんとお考えになっていただきたい。こんなことごときでケチがついては、鈴木市長にとっても、もったいないというもの。



さて、そんななか、きょう2024年7月28日日曜日、東京都江戸川区西葛西8‐5、総合レクリエーション公園入口で、ガンジー像除幕式がおこなわれる。インド外務省のS・ジャイシャンカル外務大臣をお招きして。銅製胸像はインド人彫刻家のナレシュ・クマワット氏によるもので、インド政府インド文化関係評議会(ICCR)から江戸川区へ贈られたもの。ひかえめなサイズで、胸像のまわりには色とりどりの草花が愛らしく咲いています。



なるほど、西葛西には日本一多くのインド人たちが住んでいるので、ガンディー胸像のひとつくらいあったっていいじゃないか、と(一応)インド好きのぼくはおもいはする。ぼくはおやつにサモサを齧り、パプディチャットを食べ、食事にはダルや、チャナマサラ、ベイガンバルタ、プラオを楽しみ、あるいはラッサム、サンバル、ポリヤル、ワダ、レモンライスにおおよろこびしているのだもの、そんなぼくはヒンドゥー文化に敬意を持っています。ぼくだけではなく、インド料理好きの日本人は多く、たとえばぼくが敬愛する鮨屋の大将でさえも、週末にインド料理をにこにこ顔で召しあがっています。インド映画もとっても楽しい。




とはいえだ。もしもである。もしもこれを受けて、西葛西在住の中国系市民が周近平像あるいは毛沢東像を建てたり、負けじと韓国系市民が李舜臣(イ・スンシン)像を建てたり、これを受けて日本人が豊臣秀吉像を建て、どさくさにまぎれてフィリピン人がエルピディオ・キリノ元大統領の彫像を建てでもすれば、もはや西葛西でアジア彫像戦争勃発である。こういうことがまったくありえない妄想だと、いったい誰が言えるでしょう?



また、西葛西のインド人とてけっして一枚岩ではなく、たとえばIT系のインテリたちのなかには、「せっかく日本人たちとトラブルもなく平和に暮らしているというのに、なんでわざわざトラブルの種を撒く? Nahin chahiye!  愚かなことだ。わが同胞はこういうことを辞めていただきたい」そんな非難の声もまたちゃんとあるのだ。



そもそもなんである種のインド人たちは日本にガンディー像を建てたがるのだろう? そもそもマハートマの誇り高い人格をおもえば、けっしてそんなことをマハートマは望まないでしょう。では、いったいどうしてこんなことが起こるのか? 近年、モディ首相率いるインドはインド国内8割を占めるヒンドゥー教徒の国として、ヒンドゥー主義をインドのアイデンティティにする傾向を強めていて。そのヒンドゥー主義の象徴がマハートマ・ガンディーなのですね。しかし、インドにはターバン巻いたシーク教徒もいれば、ムスリムもクリスチャンもいる。この運動が行き行きすぎると異教徒に対する不寛容が蔓延し、結果インドを分断に導きかねません。くわしくは後述します。




もちろんヒンドゥー教徒とてけっして一枚岩ではなく、なるほどインド各地にガンディー公園はたくさんあって、ガンディーは国民の父として愛されてはいる。





しかしながら、他方、「腰抜けガンディー」、インド独立をけっしてガンディーに代表させるわけにはいかない、と考える人たちもまたいるのだ。



そもそも世界中の人たちのガンディー観
は、1982年制作の、リチャード・アッテンボロー監督、英国&インド合作映画『ガンジー(Gandhi)』によって決定づけられた。イギリス領インド人の青年ガンディーは、商社の顧問弁護士として訪れたイギリス領南アフリカで人種差別を受ける。かれは激しい怒りを覚え、抗議活動をはじめる。かれは暴力を一切使わずに闘うことを信条として、人種や階級の垣根を越えたアシュラム共同農園を建設。その活動によってインド人労働者たちも結束しはじめ、運動は拡大してゆく。やがてかれは故郷インドに帰国し、英雄として迎えられ、伝統服に身をまとい、独立運動に身を投じてゆく。



感動の名作映画ではある。しかしながら、ぼくは英国人の狡猾さに呆れもしたものだ。1800年あたりから英国東インド会社が勝手にインド支配をはじめ、その後英国政府が乗り込んできて、インドをわがもの顔で支配して、150年間にわたってインドのあらゆる富を根こそぎかっさらっていった。しかしながら英国は第二次世界大戦で病弊した結果、もはやインド支配を続けられなくなって、インドからしぶしぶ撤退したのだった。にもかかわらず、英国はちゃっかり『ガンジー』なんて映画を作っちゃって、ガンディーの英雄化をくわだて、まるで紳士の国英国は、英雄ガンディーに敬意を表して、インドに礼を尽くし、インドから誇り高く撤退した、英国はそんな真っ赤な嘘をでっちあげるのだ。いやはや。ぼくの心に、ジョン・ライドンの怒りの叫びが沸き上がったものだ。




他方、繰り返しますが、ヒンドゥー至上主義は、現実にインドを分断に導きつつあって。たとえば近年、ガンディー暗殺者の系譜を引く準軍事組織 the Rashtriya Swayamsevak Sangh ラーシュリーヤ・スヴァヤンセヴァク・サング (RSS)が台頭し、 Hindu supremacists (ヒンドゥー優越主義者)として、世界最大の極右組織として活動をしています。




いいえ、本題に戻りましょう。たかがガンディー胸像と言うなかれ。日本にガンディー像を設置する。この問題の是非は、もっと広くまじめに議論されるべきことでしょう。



いいなと思ったら応援しよう!