「新しい資本主義」の動機付け議論
岸田首相の「新しい資本主義」は
実態がよく見えない
という批判を受けています。しかしながら
「西洋文明的な資本主義」
と異なる
「日本的資本主義」
を、考えることは、優れた観点だと思います。岸田首相も近江商人の
三方よし
を一つの切り口にしています。
今回は、マックス・ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(以下プロ倫)」で、描いた
カルヴィニズムの予定説による『脅迫的』な勤勉への動機付け
という発想を、日本の信仰と比べて、考えてみました。
なお、カルヴィニズムの予定説とは
人間が天国に行くか地獄に行くかは既に決まっている
という教えです。このような『怖い教え』ですから、信じている人は
自分が救われるという証が欲しい!
そこで
勤勉に働ければ
自分は神の意に沿う働きができている
つまりこれが救われている証
という発想で勤勉になる。これが、ヴェーバーの論法です。
この議論の隠された前提は
人間はそのままでは勤勉にならない
です。このような発想から
日本の資本主義の成功理由は
勤勉を善とする「石田心学」にあり
という研究をした、アメリカの社会学者もいます。この発想には
「勤勉を善」は珍しい
が根底にあります。つまり、アメリカ人の学者にとっては、石田心学の「勤勉と金儲けを肯定」する発想は、珍しかったのです。従って
西洋文明では資本主義の発達のため
『勤勉を善』とする動機づけが必要
でした。
しかしながら、日本人にとっては
「勤勉は善」は自然
の発想があります。この理由を、マックス・ヴェーバーに対抗して、宗教的に考えてみました。西洋文明と不可分のキリスト教の発想は
人間の力は有限であり有限の物しか知ることができない
ですが、日本で広がった大乗仏教の発想は
衆生誰もが仏の智慧を得る可能性がある
仏は全てを我が有と想い衆生は全て我が子
という人間の可能性を認めます。これを極端に言うと
自分の力でよりよい社会を作る
そのために努力する
と考えてもよいのです。例えば、勤勉の鑑と言われる、二宮尊徳は
自らの働きで多くの開拓を行い
政治にも関与し災害の復興などにも貢献
という「社会をよくする」活動で成功しています。つまり
人間の力で社会をよくすることは可能
が、根底にあるので、勤勉の動機付けでも
売買の当事者と世間すべてがよくなる
『三方よし』の、総合的な目標設定ができるのです。
このように考えると
欧米的な金銭での動機付け
日本的な総合的な動機付け
は、大きく違ってきます。
特に、勤勉の動機付けが、行き過ぎると、日本の場合には、働き過ぎのトラブルが生じると思います。