地位の差へのこだわり事例
昨日書いた
微妙な地位の差へのこだわり
によって、説明できる、歴史的な事件があります。それは
徳川慶喜の敵前逃亡事件
です。もう少し言えば
徳川幕府投げだし
と言うべきでしょう。
一般に知られている歴史では
鳥羽伏見の戦いで「錦の御旗」が
薩長側に掲げられたのを見て
「朝敵になるのを恐れて逃亡」
と言う説が強力です。
さて、私の仮説は
徳川慶喜の忠誠心は徳川家でなく
天皇に向いていた
また自身は母方の有栖川宮家の血を重視
です。
この動機は
第14代将軍相続問題
です。ここで
御三家の中での水戸藩の位置づけ
つまり紀州・尾張より格下
水戸からは将軍に成れない
という、徳川幕府の掟がありました。確かに
水戸から一橋に養子
になっているので、将軍相続の資格はありました。
しかしながら、色々な事情で
紀州藩出身の徳川家茂が14代将軍
になり、慶喜は「将軍後見職」になりました。傍目から見れば
将軍後見職はそれなりの地位
でしょう。しかし、将軍の地位を一度見た立場では
将軍に成れない挫折
は心に傷を残したでしょう。
そこで、慶喜が拠り所にしたのは
母方の有栖川宮の血
です。つまり、宮家の立場で
天皇に忠誠
と言う立場です。ここで
将軍より天皇・宮家
を優位に考えて
将軍になれ無くてもよい
と言う満足を得ます。
こうして、宮家の一族という発想なら
錦の御旗の権威を絶対に守る
と言う覚悟も出てくると思います。
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