![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151763537/rectangle_large_type_2_de62cf783e0b6e5624a17fb2fd551c3c.jpeg?width=1200)
言葉の上滑り
昨日思いついた
水戸学は漢才で和魂に響くか?
について、もう少し江戸時代を考えました。つまり
徳川の平和は
儒教教育の成果
と言う一面です。つまり
武士を忠孝という道徳で縛る
発想です。ここでは
儒教という漢才
が支柱として指導力を発揮します。
更に、平和な江戸時代には
寺子屋や学問所
武士から農民・町人まで、多くの人が
孔子の言葉などを学ぶ
ようになります。つまり、それまで僧侶・学者などの独占から
漢才の大衆化
が実現していました。
この副作用として
言葉の上滑り
が生じます。今の日本でも
学問知識の大衆化で学問用語で会話
例)MBAの用語での会話など
で
本当に理解できてない上面議論
が時々起こっていますが
水戸学による
幕末の尊皇攘夷
なども
スローガンの暴走
状態でした。
現在の
高学歴化
学問大衆化
にも同じ危なさがあるように思います。
関連記事です。
和魂の復活で現実的思考へ|鈴木良実 (note.com)
和魂は本音だった!|鈴木良実 (note.com)