ネット上の「魔境」
昔、天台の「摩訶止観」を、集中して読みました。この一つの動機は、禅の立場で『魔境』と言う現象について、天台大師はどのように説明しているか知る為です。なお、禅宗の著作でなく、天台大師の話に頼るのは、禅宗では『不立文字』と言って説明を嫌うが、天台摩訶止観は、細かく分けて説明する傾向があり、難しいながらも理解する手掛かりが多いからです。
摩訶止観の説くところ、仏教では悟りの妨げになる障りを魔として見ます。そのまとめとして、四魔があります。四魔とは、陰魔、煩悩魔、死魔、他化自在天魔の四魔を言います。このうち前三者は、外界との向き合いや、煩悩との向き合い、病気への対処で、克服されるものです。
そして、最後に出てくる魔が、他化自在天魔です。これは仏教の思想で、欲界の最高位で出てくる魔王です。これは、愓鬼、時媚鬼、魔羅鬼として現れます。このうち、愓鬼は触角を中心に感じて禅定を乱します。一方、時媚鬼は幻覚などを通じて、間違った教えを吹き込みます。そして魔羅鬼は、両方を硬軟取り混ぜて行います。
ここで、魔羅鬼の働きとして、天台大師が指摘しているのは、大乗仏教が求める、仏性の悟りの中間手段である、声聞や菩薩の悟りに安住させる作用です。つまり
「これでよいのだ。ここまでで十分だ。」
と言うささやきです。言い換えると、魔と言っても、単純に妨害するのではなく、修行を助ける形で出てきて、中途で安住させることがあるのです。
さて、このような三鬼は、外部にあるのだろうか?天台大師の教えを読むと、それは修行者の心の中にあります。揺れ動く行者自身の心のありさまを魔の姿で表現していると、理解すべきと解釈するのが自然です。
しかしながら、現在のネット社会を見ると、この魔羅鬼はネット上のいたるところに存在します。自分の言いたいことを言う、それに対し「スキ・イイネ」と言うクリックがあれば、認められたと思ってしまいます。このような形で、自分の思い込みに安住してしまう。これは、『魔』の働きと考えるべきではと思いました。
1000記事の節目で、自戒の意味を込めて投稿します。