十界互具の教え
前にも書きましたが、西洋文明の発想は
単純化し因果関係を明確
と言う手法が有力です。一方、大乗仏教の「仏の智慧」は
複雑なモノをそのまま観る
力があります。そこで、両者を比較すると
西洋文明:悪人と割り切って犯罪者の議論
大乗仏教:善悪と因縁果報の絡まりで観る
となります。法華経の教えでは
十界互具
と言う教えがあります。つまり、私達の心の中に
仏・菩薩・縁覚・声聞・天・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄
が存在すると、説いています。あるときには
仏の慈悲の心で接し
またあるときには
憎悪の塊で地獄の心
を持ちます。飢えれば餓鬼のようになるし、性欲に捕らわれたら猿のようになる。また、競争に捕らわれて、勝つことだけの修羅の道に入るが、美味しい物を食べて天界の気持ちにもなる。このように、人間の心は多様な側面があります。仏の慈悲から、天~地獄の六道の欲が、心の中で働いていると、観ているのです。単純に「正義のため」と、言い切ると、修羅の道に入ります。
なお、声聞・縁覚はいわゆる「小乗」で、自分の汚れがない世界です。菩薩は、多くの衆生を救う立場で、仏は法界全てを造り、衆生全てを我が子のように観ます。
最後に、この発想を、学校で考えてみましょう。
選ばれた生徒だけの学校で不適切者は排除
と言う理想的な条件での運営が、西洋文明的な発想です。しかし、現実に義務教育を行うなら
多様な生徒を受け入れる
運営となります。この発想が、大乗の教えになります。