![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122369527/rectangle_large_type_2_1a3f3531daa52581f12cdfad98dec10f.jpeg?width=1200)
西田哲学の凄さ
西田哲学について考えると
西洋学問の主要武器である理想化への反論
という面が見えてきました。つまり、ユークリッド幾何学を成立させた
抽象化したモノでの議論を
イデアで一般化
し、それを使って
因果関係を明確化して理論づける
手法が西洋学問の力です。こうした発想で
太陽と地球の関係だけで万有引力
の法則を見出す、などの成果が出て、現在の機械化文明が生まれました。
さて、このような「理想化」は、大きな成果を生み出しましたが
理想化で見落とされたもの
という弊害もあります。特に、西洋文明の社会科学的な成果、つまり政治制度などを導入するには、弊害が出てきます。例えば
ヨーロッパの貴族制度を参考に華族制度
を作りました。しかし、そこには
従来の公家・大名そして維新の功労者
が混じっています。従来の伝統ある家々と、維新後の成り上がりでは、自然と衝突が起こります。さらに言うと、欧州貴族にある
ノブレス・オブリージュ
の概念も伝わりません。
また、自然科学の適用が旨く行われた工業製品でも、機械が生み出したものは、設計値からバラツキ
実際は職人の手直し
が必要でした。
こうした、現実の複雑さ、多様さに対応して、西田幾多郎は
行為的直観
などの手法で、直接的に向き合いました。
ただし、西田哲学の凄さは、単に
従来の東洋の智慧への回帰
ではなく
西洋論理で説明できる部分はキチンと説明
それも使った上で世界を心の中に造り直観
しています。まさしく
西洋と東洋の弁証法
で、よりよいモノを生み出す考えです。
これを、私たちはもう一度、複雑多様化の現在に対して、見直すべきでしょう。